さて、
コンサル後三日目が経過しました。
自分の中でスゴくスッキリした事があって、そしてカエラちゃん(直感・直観)のナイスアシストを改めて感じたのでそれを書いてみます。
私は本当に恵まれた環境で育ってきました。両親に大事にされて、尊重されて、伸ばしてもらって…感謝以外の何物もなく育ってきました。
自分の人生は自分で決めたらいいと言う考えの両親、やればできると信じてくれたのです(今で言う、コーチング的な考え方)。両親は共働きだったので私は三歳の頃から鍵っ子、一人で留守番をしていたので「自立」するには好環境。思うままに伸び伸び、好き勝手させてもらいました。どんなにじゃじゃ馬な私でも「丸ごと」受け入れてもらっています。今でも。
父親と同じ道を選んだのは自分の意志です。恐らく幼稚園の頃に決めて、八歳の時には宣言していました。
父は私のゴール像でもあり、物凄くできる人。書くのは恐縮なんですが(分かり易いので)現在日本で100人しかいない財(個人的な資産)を一代で築いた人。アクティブで世界中を旅したり海に潜ったり、自家用船や自家用機を自分で操縦したり、とにかくアクティブ現在進行形の父。 そして、全く「ブレない」。ブレなくて、強いのです。
ただでさえ届かない相手なのに、現在進行形でどんどん進化していく父親。それが私の「目指す進路」なわけです。
顕在意識では憧れ、原動力、ゴール…しかし潜在的には「諦め、重り(重圧)」だったのですね。びっくりしました。
目指しているはずなのに、飛んで行きたくないのですね(矛盾)。勝ち目のない(と思い込んでいる)試合の舞台に立つ恐縮。
昨日、
ふと気づいたのですが「月と太陽」みたいだなぁと思いました。 私は「月になりたがっている、太陽」みたいだなぁと。
月は見えているのに、ある意味手に届くことはないのです。父親の壮大な強みは私にはないものだから。あまりにも憧れるばかりに、自分が発光できることも忘れて月ばかり神々しく輝いてみえたんだろうなぁ。
私がブロックに取り組むことに対してはその先に期待感があります。なぜなら、隠れているのは、みたくないもの・傷や闇でもなく、光「太陽」だから。
そして(皆既日食の)真っ暗な部分の正体は闇ではなく「光」だから。私をいつも大きな愛をもって見守って夜道を照らしてくれる月(父)だと言うことにハッと気づいたら…ボロボロと涙が出てきました。
父親の背中にすっぽり隠れていた私。そう見えたのは、私が地球側(父親の土俵)からしか見ていなかったから。視点を少しずらしただけで、太陽って見えるのです。 その視点が「自分の土俵から見ること」つまり「資質、強み、能力の土俵」なのかな、って気づいたんですよね。
そしてね、
いつも私が勝手に憧れるばかり(心配かけてばかり)だと思っていたけれど、月を照らしているのは「自分」(太陽)なのかもしれないなぁと。 子供が頑張ってるから親も頑張れる、親が頑張っているから子供も頑張れる。
みにくいアヒルと思っていたから、イケてるアヒルになろうと必死でした。
私がするべきはイケてるアヒルになることじゃなくて、勇気を抱えて前に進むこと。その道の先でキレイな白鳥になれるんじゃないかなぁ。期待を込めてね。
私が既に決めた・「父と同じ道(後を継ぐ)」を進むことには変わりありません。
しかし、父の強み・強大な能力を真似ることはできないのです。
だからこそ、父の土俵(採点表)で勝手に自分を測るのではなくて、私の「土俵」で進め(戦え)と言うことなのかな、とふと思うのでした。
これが、
コンサル後三日目に感じたことです^-^。
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