先日、友人と数年ぶりに会いました。
お互い親の体調や子育てなど色々心配な事はあったけれど、それを乗り越えて元気そうにしている友人の姿を見て嬉しく思いました。
彼女は私と違うタイプの性格です。
だから、これまでも学ぶ事が多かったのです。
今回もまた考えさせられる出来事がありました。
LINEの最後に
気楽に楽しくやろ〜
そう書かれていたのです。
その文章を読んで思い出したのですが、前からよくこの友人のLINEにはこの文章が書かれていたなぁと。
この文章を読むと私はとてもモヤモヤした気持ちになるのです。
どうしてモヤモヤしてしまうのだろう?
自分の気持ちを覗いてみました。
私は昔から考え込んでクヨクヨ悩んでしまう性格でした。
周りの人からも考えすぎだよとよくアドバイスされていました。
だからこの、気楽に楽しくやろうという文章を読むと気楽に出来ない自分を責められている気持ちになってしまうし、またはもっと気楽にしなよと強要されている気分になってしまっていたのです。(すごい被害者意識)
友人は全くそんな事を私に求めている訳じゃないのは頭では理解しています。
そんな時、YouTubeでみた動画を思い出したのです。
早稲田大学の名誉教授であり、社会、心理学者でもある加藤諦三さんの言葉です。
この加藤諦三さんはデヴィット・シーベリーさんという心理学者が書かれた「心の悩みがとれる」という本の翻訳をされているのですが
その本には、悩んでいる人にはある共通性があるとシーベリーさんは書かれています。
それは
【私はそういう人間ではありません】
この言葉が言えなかった人であると言うのです。
そして、自分自身にかけられている否定的な暗示に気付く事から治癒は始まると書かれていると動画で説明していたのです。
私もこれまでの経験で知らぬ間に自分を否定していたのだなぁと気付きました。
色々考えて面倒な奴
クヨクヨ考えるほど時間がある暇な人間
でも、考えるってそんなに悪い事かな?
考えるからこその良さもあるのです。
何より良い悪いではなく、私は考えてしまう人間なんだ。
それが自分なのだから、それで良いのだと思えるようになりました。
人に合わせる訳ではなく、人の期待にこたえる訳ではなく、ありのままの自分で生きていく。
ありのままの自分を否定しない。
そんな事に気付かせてもらった友人はやっぱり色々学ばせてくれる大切な存在だなあと最後は感謝の気持ちが湧いて来ました。
全くの余談ですが、その日の会計のレシートは何と¥7,777-だったのです
なんか良いことが起きそうとワクワクした気分でお友達と別れました。