久々にブログを開いた。

いろいろあったような、なんにもなかったような時間が経った気がするが、

いずれにしても、私は元気である、それなりに。


体調が悪かろうが、だるかろうが、ムカつくことがあろうが、なんだろうが、

私が毎日、ほんとに毎日欠かさないこと、それはピアノの前に座ること。

下手したら10分しか弾かないことがあっても、だ。

弾きたい!って時もあれば、

あぁ、だるいな、今日は休もうかな、って時もある。

でも、とにかく座る。


20年のブランクからの10年、昨今の年齢的な変化もあってか、

しなやかな手や腕の筋肉は衰え、手の開きもなんとなくぎこちない。

あれだけピラピラ弾けていた速い曲も、だんだんと厳しくなってきて、

そこに着眼すると、辛くなる、悲しくなる、情けなくなる。

技術的な伸び代、なくなったわけではないだろうけど、

現実は厳しい。


でも、じゃあ、なんで毎日弾くのか。

ピアノを弾くことで、たとえたった5分でも、集中して瞑想的に没頭できるし、

自分の鈍化したかもしれない感性を一旦目覚めさせることができる。

有難いことに、譜読み力の衰えは、老眼になった以外はあまり感じられず、

ふと目にした耳にした、これまで縁のなかった昔の作曲家の作品に出会うと、

楽譜を取り寄せ、弾いてみる。

1回サラッと弾けば、曲の構造や作曲家の意図と「会議」ができる。

2回目で、「会議」内容を確認。

ほぼほぼ、3回目には、自分の体にメロディが入る。

昔のように、一瞬で暗譜なんて到底できないけれど、

暗譜が大事なんではなくて、「音楽を感じる」ことが大事と思って。


何よりも。

自分が長いこと出会ってきた有名作曲家以外に、

とんでもなくたくさんの、素晴らしい有名無名の音楽家、作曲家が世界中にいて、

その人達の残したメロディが、とんでもなく素敵で、切なくて、広くて、楽しくて。

アパートで音漏れを気にしながら、そもそも「ひきこもり主婦」がコソッと弾いているだけなんだけど、

私は、ピアノの前で、いろんな表情をして弾いてるように思う。

美しいメロディに出会えば、はぁ〜と恍惚のため息ついて、ぽぉ〜っとなり、

切ないメロディが襲ってくると、泣いてもいる。

恍惚メロディと出会うと、気になって気になって、

家事の途中でも、夜中でも、夫そっちのけでピアノの前に行って、何度も何度も弾く。

まるで、若いころ、かっちょいい人に恋しちゃってた時みたいに、

その曲のことばっかり考えて、家事が手につかないw


書いていて、なんじゃこりゃ、と思うがw


音楽を演奏する側としては、人前で弾いて、聴いてもらうのがなんぼ、みたいなところがあるかもしれないけれど、

自分を癒せる技術を持っている、って考えもあると思う。

小さい頃から苦労して、寝食惜しんで、特に好きでもない習い事だったピアノだけれど、

50年以上経って、今自分と向き合い、自分を癒す道具になっているのだから、

有名演奏家にはなれたはずもないんだけど、それでも、

音の世界に戻ってきて良かったと思う。


音も波動だから、

人を癒すことも、逆に痛めつけることもできる。

自己満足で気持ち良く弾いていても、

場合によっては、その波動に毒される人もいるかもしれない。

人間は、誰しも本当は繊細で直感的な動物なのだ。

臆病者の私は、不用意に自分が自分が!で演奏を披露するのは、

誰かの気分を害しやしないか不安で不安で、

時々、自分の演奏をSNSに載せればいいじゃん、なんて言われることもあるけれど、

そんな大それたことは、なかなかできない。

やっぱり音の波動を撒き散らすには責任を持って、

「誰かのため」に弾く、

自分の見せびらかしじゃなくて、

時、場、意味なんかを考えて曲を選んで準備して弾きたい。

これは、私の大師匠が4歳や5歳の私に言っていたことでもある。

「キミが感動するんじゃないんだ。キミの作る音で聴いている人が感動しなくちゃならないだ。

それが、演奏家、音楽家、プロなんだ」と。

(よくも、足プラプラさせてピアノ椅子に座るチビちゃんに、こんな哲学的なことを話していたもんだ…)


でも、そういうことなんだ、と強く今はわかる。

そして、大人になった今だからこそ、

「私ワタシ!」っていうのから一歩引いて、

自分をフィルターとして演奏をするという「構造」が理解できてきたかもしれない。

「かもしれない」のだ。


まぁ、あまりないとは思うけれど、

いずれ、ふと人の前で弾く機会が巡ってきたら、

その時は、謙虚ぶって「いやいや」なんて言わないで、

喜んで!とピアノの前に行けるように、

そして、できれば、

私が作る音で、

そこにいる人達が元気になったり、癒されたり、

私が作曲家達に与えられている恍惚タイムや感涙タイムを聴衆にお届けできる、

なんてこともあるといいな、と思いつつ。


しかし。


結局は、ひきこもり続投で、コソッと弾いているのが好きなんだな、きっと。