久しぶりに思い出したので、ここに書き留めておく。


まだ20代だったかと思うが、ある時期、自分の存在というものと、未来への展望が混沌としていた頃、

自分のルーツを探したくなった。

私にも、当然、先祖がいて、北の大地で育ったということは、方々から皆さん、蝦夷地へ来たはずだ。

まだ元気だった頃、祖母達から概略を聞いてはいたが、とにかく確かめてみたい性分の私は、

中でも一番、確度の高い話を辿ってみようと思った。


九州、東北、様々なところからやってきた私の先祖だが、

北陸からやってきた人達の血が私の中に濃厚に宿っていることはわかっていた。

その確度の高い話というのは、私の父方の曽祖母のことだった。


ちょうど、その出身地、石川県には私の昔からの親友がいるため、彼女に話をして、

ルーツの旅を手伝ってもらうことになった…



昔むかし。能登半島突端の静かな漁港町に、その少女はいた。

小さな町ながら、寺が無数にあるその地で育った彼女の家は、ある寺の敬虔な檀家だったそうだ。

その少女が17歳になった頃。

どこで仕入れたのか、「蝦夷地」という地へ行けば、相当な儲け話があるという情報を聞きつけたらしい。

彼女はなんと単身で、ハシケのような船に乗り込み、日本海の荒波に耐え、

蝦夷地へ辿り着いたそうだ。

着いた先で、材木屋および宮大工などを営む家に奉公として入り、

そこで働いていた青年と結婚。

その夫婦誕生により、祖母が生まれ、父が生まれ、私へと繋がったとのこと。



親友の車に運ばれて、その漁港町へ行った時。

曽祖母の家などあるとも思わず、その時点では、檀家ではなく、「寺の娘」という祖母からの情報があったため、

地図を見るも… 「寺家」という地域名らしく、とにかく多数の寺が存在する町で途方に暮れた。

その時、親友が一言。「貴女、得意の直感でどの寺にまず行くか、選んでみなよ」


むむぅ… と地図に向き合った瞬間、パッと目についた寺の名があった。

よし!ここだ、ここにまずは行ってみよう! となり、

寺の門をくぐった。


お寺の奥さんに、私の訪問理由を話したところ、もしかしたら、◯◯さんという家のことではないか、とのこと。

その家の場所を教えてくださった。

あまりにドンピシャ過ぎて、私も親友も仰け反るほど驚いた。

すぐに、教えてもらった家へ。

今思えば、どこぞの若い女が2人、突然やってきて、「私の先祖を探しています、貴方の家じゃないですか?」的なことを言う、

先方にしてみれば、訳のわからない、詐欺か勧誘か、とにかく怪しげだと思われても仕方がなかっただろう。


ところが、である。

応対してくれた男性は、なんと、その前の数日、その家の歴史を知っておきたい、という思いに駆られて、

私が訪問する前日に、役所で戸籍謄本を取ってきていたというのだ!

よって、まったく、自然に、変に驚かれたり、引かれたりすることなく、すーっと話が通ったのである。

男性は、その家に養子として入ったそうで、ならば尚更、その家の歴史を知りたいと同じタイミングで考えたなど、

ご先祖様の仕業としか思えぬ出来事だと思った。

しかもまさに私達が訪問した時、例のお寺のご住職が、その家のお参りを終えてお帰りになる時で…


戸籍を見ると、私の曽祖母の蝦夷地での歴史がきちんと書かれており、

そこには、なんと、私の祖母の名前までが記載されていたのである。

日本の戸籍は恐るべし、素晴らしいものだと思った。


私は、この一連の体験で、何か自分の中に芯のようなものが入った気がしたのを覚えている。

それと同時に、古の時代に、情報を手繰り寄せ、冒険心なのか、何なのか、わからないが、

駆り立てられて単身、勝負の旅に出た、17歳の少女の血が私に流れていることに、なんだか勇気が出た。

当然、親や親戚筋にこの話をしたところ、オバが大笑いして、

「アンタ、そもそも、そういう旅に出て調べに行ったり、思い立ったら外国でもどこでも飛び出していく、

アンタは、あの婆さんの生まれ変わりだわ!」

と言い放った。

確かに。

でも、それを言うオバも、そして、私の従姉達や妹達も、家族内の女性達は全員がパワフル、エネルギーいっぱい!

ちょっとやそっとのことでは潰れない、強ーーーーい女ばかり。


久しぶりに思い出し、こうして書いてみると、

なんだか、あの時に感じた勇気が蘇ってきた。

その後も私のルーツの旅は続いたのだが、それはまたの機会に。


昔むかし、あるところの、勇気とガッツある少女に、乾杯!