他人って時々、たぶん「良かれと思って」余計なこと言うよな…

なんて、たまに、思い出しては考えてしまう。


特に思い出すのは、子供を持つことについて。

私たち夫婦は、結婚することを視野に入れた時、この件について、話し合ったことがある。

なぜって、我々はその時すでに30代後半。

さらに、ワールドワイド転勤族で、いつその指令が来るかわからず、

不妊治療を継続的におこなうことも難しい、という前提があったから。


私には、その前の、大前提について話す必要があった。

自分の子供を持つことに、あまり積極的ではないこと。

他人の子供のほうが可愛い、と思えること。

自分の子供時代が、あまりにも生き難かったうえに、

ピアノのレッスンが元で、親から身体的・精神的に異常に厳しくされたことから、

自分の子供に、同じことをやってしまいそうな恐怖があること。


そして、もし子供が欲しいのなら、私は結婚相手として適任ではないと。


夫の答えは、面白かった。

自分は、独身時代からいろいろな国を見てきて、

世界には、今まさに助けを必要としている子供や親子がたくさん溢れている。

そりゃぁ、自分の子供は別物なのかもしれないが、俺達が関わっていける子供ってのは、

別に自分達の子供でなくてもいるんでないかと思ってきた。と。

だから、治療までして子供を作り出すことは、俺も考えていない。と。


私は、そうかぁ、そういう見方、なんとなく、共感するなと思って、

あの話し合いも、私が結婚の決意をするキッカケとなった。

私達は2人で、これからどこぞの世界の片隅で出会う子供達を愛しんでいこうと決めた。


思っていたより早く、結婚して程なく転勤命令がきた。

転勤の時が来たら、私は自分の仕事を辞めて一緒に行くと最初に約束した通り、

激務だったが、とても充実していた仕事だったので残念さもありつつ、サクッと退職した。


そこから、私にとっては「余計な一言」が刺さり始めた。

仕事を辞めたと話したら、その返答第一声が「よかった!これで赤ちゃんができる」

少し時間が経てば、「なかなか赤ちゃんに会えないなぁ」

親戚、他人、関係なく、容赦なく「私に」囁かれる言葉の数々。


いろいろ考えがあっても、転勤で出発する前の短い期間ながら、

そんな一言に触発された面も少しあって、婦人科に通って注射をしたり、薬を飲んだりしたこともあった。

しかし、薬が合わず、身体中に薬疹が出て、真っ赤な世界地図のようになり、

まるで「お前は、そもそも子供が産めない人間なんだよ」と宣告されているようで、実は、本当は、悲しかった。

自分の子はいらない、とか言ってたクセに。


40代初めくらいまでは、密かに自分でも「親になる」っていう見通しを捨て切れておらず、

「余計な良かれと思っての一言」に一々傷ついたり、憤慨したり、揺れ動く気持ちがあった。

が。

もう50代が見えてきた頃、極めつけの出来事があった。

ある集まりで、親戚のおっさんから、

「アンタ、まーだ子供産まないのかい。どうなってるんだい。」


きたきた。

「おじさん。私いくつだと思ってんの?もう私、50になるんだよ!」

そうしたら、こうきた。

「あぁ、アンタ、そんな歳なのかい。まぁ、でも最近の医療の進化は素晴らしいんだから、努力しなさい」

だって。

私、もう、吹き出しちゃった。

余計にも程がある。

いつまで言ってんだい!

どこまで突っ込むんだい!


さらには、

それまで、子供ができないことを暗に批判してきていた知り合いのおばさんからは、

「あなた達、これだけ引越ばかりの生活で、子供がいなくて良かったわぁ」


いやぁ、まぁ、そうね、結果論としては、そうかもしれないね、

でも、なんかアンタから言われると… 

それに、まぁ、勝手なこと言っちゃって…


まず第一に、カップルに対して、子供どうした云々の質問て、ものすごーーく下衆なもんだと思う。

2人の超超超プライベートな世界に口出してる訳だから。

それに、よくあることだけど、子供ができる云々の話題は、すーぐ女のせいみたいになる。

なんで自信たっぷりに、女に過失があるみたいに言ってくるのかね、この話題って。

(思い出して熱くなってしまった…)


私には、自分と夫の血を分けた子供はいない。

私の、というより、この夫の子供はどんな子だっただろう、夫はきっと良い父親になっただろう、

そんな風に思うことはよくある。

我々に子供がいない分、親として体験するであろう艱難辛苦を回避できてしまい、

親だから味わえる喜びなんかも体験できない。

生き物として、そういった経験の欠損があるとは言えるかもしれない。

自分の身を置いてでも、懸命に護る存在というものを持たずに今回の人生を終えることになるだろう。


そんな我々だが、親戚の子供達だけでなく、

転勤先で出会ってきた子供達がたくさんいて、

誕生を喜んだり、

大きくなって、成人になっても連絡をしてくる子達がいたり、

その子達に、子供が産まれて、「なんちゃって孫」ができたり、

小さかった時のエピソードを話してやれる子達がいたり。

何より、その親達から、

「自分達以外で、子供達に愛情持って接してくれる大人の男女のロールモデルとして、これからもよろしく頼む」

と言われると、なんとも言えない有難い気持ちになる。

と同時に、素敵な、カッコいい大人で、男で、女で、夫婦であろうと、いつも思う。


更年期に入って、やっとこの話題から自分自身が解放され、楽になった。

でも自分でいつも思っている。

「お子さんは?」

「子供ほしくないの?」

「あなた達、良い親になるわよ」

「子供いなくて楽だね」

「子供いたら大変だよー」

初めて会う人、よく知らない人、そして身近な人に対しても、こちらから聞く/言う必要のない話題だと。

相手がどんな立ち位置にいるか、わからないんだから。


まさしく、

余計な一言!

だと思う。