パニック症のままで、安心 幸せの世界へ♪

パラダイス・バード認定心理カウンセラー たかはしかおるです。

 
 
 
■子どもの頃
いつ怒り出すか分からない亭主関白な父の顔色をうかがって、優しい母を守りたいと強く思いながら、いい子として育ちました。
 
 
 
■看護学校
看護学校入学を機に寮生活。                                      親の束縛のない、自由な生活を謳歌。寮を抜け出しては、夜の街へ遊びに行きました。  看護師として、大学病院に1年10ヶ月勤め、母が初期ではないだろう乳がんとなり、看病のため、実家(愛知県)へかえりました。母のサポートをしながら、近くの個人病院でしばらく働き、結婚のため神奈川県へ。                    
 
 
 
■結婚・出産・母の死・パニック発作
結婚してすぐに妊娠、出産しました。母に孫を一目みせてあげたかったのです。       娘が5か月の時、母は49歳で亡くなりました。

母の1周忌を終えた、1996年4月26歳の時突然、大きなパニック発作をおこしました。とてつもない恐怖に襲われ、子育てなどとてもできる状態ではなく、娘を義母、義姉に預けて母の姉妹のいる山口県へ行きました。心療内科で、パニック障害ですと診断。カウンセリングを受けて、薬を飲み、2週間ほどで娘の元へ帰りました。
 
 
 
 
 
■発作の恐怖とともに
数年間は、その日を生きることで精一杯、わたしはここにいてはいけないという思いが消えない、綱渡りのような生活でした。毎日のように泣いて過ごしました。パニック障害は恥ずかしい病気だと思い、家族以外には隠し通しました。

 深呼吸を始めて、だんだんと回復。上の子を産んでから7年後に次女を出産。しばらくは元気に子育てしました。 
 
しかし、子ども会や学校の役員を頑張ると、また発作を起こしました。休むと回復はするものの、発作の恐怖は以前より強くなり、自分の体調を見張るようになりました。普通のお母さんがやるようにしてあげたいと必死に子育てをしましたが、発作をまた起こす。とうとう外に一人で出られなくなりました。症状に振り回され、何かができる、できないに振り回されました。そしていつも疲れていました。
 
 
 
 
■2018年10月
子どもたちの成長とともに、心に余裕ができたこと。なにより子ども達にこれ以上迷惑をかけたくないという思いが強くなり、自分のパニック障害と向き合う覚悟を決めました。一人ではもうどうにもできなくて、藁をもつかむ思いでした。
 
アメブロで、小園麻貴さんを見つけ、勇気を出してカウンセリングを受けました。なんとかしたいとおもいつつも、20数年間パニック障害を抱えてきたわたしなんてどうやっても元気になんてなれないという思いも強くありました。

カウンセリングを受けて自分がポンコツだったと49歳で気づきました。目からウロコがおちる感じで、すべての謎が解けた気がしました。肩の力がスーッと抜けて、頑張る必要がなくなりました。今はパニック障害と周囲の人に話し、パニックのまま、わたしが私のままで、安心して生きています。
 
 
 
 
■夢
カウンセラーになりたいなぁとひそかに思ってきました。これからは自分を幸せにしようと清水の舞台から飛び降りる思いで、小園麻貴さんのカウンセラー養成講座に2度通いました。そこには、49年間生きてきたわたしにも知らない世界がありました!            助けてと言える世界。パニックのままでも幸せな世界。相手より自分の気持ちを大切にしていい世界。勝ち負けのない世界。迷惑をかけていい世界。

私だけは変われない、無理ですと言ってたわたしが、こうして楽しく生きれるようになりましたあなたも一人じゃない。大丈夫と伝えていきます。                       よろしくお願いします。