反射と考えることの違い | nyuutoraraのブログ

反射と考えることの違い

バッタを捕まえようとして、それは跳ねて逃げる

詳しいことは分からないが、考えはなく反応してるだけだろう。


ふと、人の思考について。

人は考え、行動する。

考えによって、まるで行動を支配できるかのようだ


だが、他人から見た自分、または自分から見た他人について、

その人を外から理解することは、物理的に不可能だ。

人は視覚、聴覚等によって情報を得るが、

得た情報は、極端な話、ある種の刺激に過ぎない。

視覚情報でさえ可視光の解釈であって、脳が勝手に色付けまでしている。

犬がモノクロで世の中を見ているのと同じく、

人は人の見える波長の光しか見えず、しかもその解釈がたまた自身の生命維持と

合致しているという歴史的偶然によって、この世の中はこんな色だと、

判断している。

本当の所は誰にも分からない。

人々の共感をもってして、自分、ひいては人の世界認識の正しさは証明している、と考えてもいいが、

実際の所、森を見ているか、木を見ているかは不明だ。



バッタとの比較について

人の脳も、外界の刺激があって反応している。

さまざまな選択をしているという感覚はマクロの視点であって、単に何かしらの大きな情報が

加わったに過ぎない。

ある瞬間における要素は瞬時の外乱により反応していく。


人の反応は複雑であると言えるかもしれない。

だが、その複雑さは、外からの予見不可能の度合いであるに過ぎず、

時間を極小に区切れば、バッタの跳躍に等しい、単純なものと思う。


1秒の、何千、何万分の1単位での、

脳に対する全ての刺激を知ることが出来れば、

その人の思考が予測できるだろう。

ただそれは、あまりにも短い、一瞬先の未来で、

一般に予測と言うものでは無い。


これ以上まとまらないのでここで閉じる。