平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人。
俗名は佐藤 義清。憲清、則清、範清とも記される。

1135年18歳で左兵衛尉に任ぜられ、1137年に鳥羽院の

北面武士としても奉仕していたことが記録に残る。和歌と

故実に通じた人物として知られていたが、1140年23歳で

出家して円位を名のり、後に西行とも称した
出家後は心のおもむくまま諸所に草庵をいとなみ、

しばしば諸国を巡る漂泊の旅に出て、多くの和歌を残した。

出家直後は鞍馬山などの京都北麓に隠棲し、1144年ごろ

奥羽地方へ旅行し、1149年前後に高野山に入る。
伊勢国に数年住まったあと、弘川寺大阪府南河内郡

河南町弘川寺に庵居し、1190年にこの地で入寂した。享年73

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