安土桃山時代から江戸時代の浄土真宗の僧。

浄土真宗本願寺派第12世宗主。西本願寺住職。

諱は光昭。院号は信光院。法印大僧正。父は第11世顕如。

兄は真宗大谷派第12代教如、第13世良如は次男。
1591年に天満本願寺にて得度し、理光院と称したが、

秀吉により現在の本願寺の地である京都の七条堀川に

再び寺地を与えられ移転。これに伴い准如も京都に入るが、

翌年の1592年に顕如が没すると、1593年閏9月16日、

秀吉の命により准如が本願寺を継承し、

第十二世となることが決定する。
1602年、徳川家康が教如に七条烏丸に四町四方の寺地を

寄進し、東本願寺が分立する。このため准如が継承した

七条堀川の本願寺は、西本願寺と呼ばれるようになる。

本願寺の分立にともない、本願寺教団は東西に分裂する。
1608年、勅命により大僧正となり、大坂に津村御坊を、1617年、

江戸に江戸浅草御坊 を建立して教団の拡大に努める

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