勝海舟は1823年江戸本所亀沢町で父・勝小吉の実家である

男谷家で生まれた。徳川幕府の御家人で旗本。

蘭学者・佐久間象山の知遇も得て象山の勧めもあり西洋兵学

を修め、田町に私塾(蘭学と兵法学)を開いた。幕府から

軍艦操練所教授方頭取に命じられ、新たに造られた軍艦操練所

で海軍技術を教えることになる。咸臨丸で軍艦操練所教授方頭取

という立場で渡米、後に軍艦奉行となる。海舟は日本海軍の生み

の親である。1868年、戊辰戦争の開始および鳥羽・伏見の戦いで

幕府軍が敗北し官軍の東征が始まり官軍が駿府城にまで迫ると、

陸軍総裁として早期停戦と江戸城の無血開城を主張し和平交渉し

て江戸城下での市街戦は回避され、江戸の住民150万人の生命と

家屋・財産の一切が戦火から救われた。明治維新後も海舟は

旧幕臣の代表格として外務大丞、兵部大丞、参議兼海軍卿、

元老院議官、枢密顧問官を歴任、伯爵に叙された。坂本龍馬や

西郷隆盛に大きな影響を与えた。

明治32年1月19日、脳溢血により意識不明となり、息を引き取った

海舟の最期の言葉はコレデオシマイだった。享年75

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