江戸幕府第8代将軍。将軍就任以前は越前国葛野藩主、

紀州藩第5代藩主を務めた。 徳川御三家の紀州藩

第2代藩主・徳川光貞の四男として生まれる。

初代将軍・徳川家康は曾祖父に当たる。父と2人の

兄の死後、紀州藩主を継ぎ藩財政の再建に努め、

成果を挙げた。第7代将軍・徳川家継の死により秀忠の

血をひく徳川将軍家の男系男子が途絶えると、

6代将軍家宣の正室・天英院の指名により御三家出身では

初の養子として宗家を相続し、江戸幕府の第8代将軍に就任した。

将軍家宣時代の正徳の治を改める幕政改革を実施。

幕府権力の再興に務め、増税と質素倹約による幕政改革、

新田開発など公共政策、公事方御定書の制定、市民の

意見を取り入れるための目安箱の設置などの享保の改革を

実行した。徳川家重に将軍の座を譲った後も大御所として

権力を維持し、財政に直結する米相場を中心に改革を続行

していたことから米将軍・八十八将軍と呼ばれた。

将軍引退から6年が経った1751年6月20日に死去した。享年68。

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