室町時代中期の茶人、僧。「わび茶」の創始者と目されている人物。

なお僧であったため、本来ならば苗字は記されないが、

慣習的に村田珠光という呼び方が広まっている。
父は検校の村田杢市。幼名・茂吉、木一子。

奈良の浄土宗寺院称名寺に入れられたが出家を嫌って上京し、

京都三条に住み茶の湯を学ぶ。30歳の頃に禅僧となり、

臨済宗大徳寺派の一休宗純に参禅。印可の証として

一休から圜悟克勤の墨蹟を授けられる。茶禅一味を体得し、

内実化に邁進する。能阿弥により整備された会所の茶から

能や連歌の影響を受け一休宗純との関わりから禅を学び、

能や連歌の精神的な深みと茶禅一味の精神を追求し、

わび茶の精神をつくった。能阿弥との関係も深く、花の

弟子となり茶・目利きを学ぶ。その後、能阿弥の引き立て

により足利義政の知遇を得る。還俗し、六条堀川醒ヶ井通西

に茶帝を構える。了海上人遷化ののち奈良へ帰る。

京都にて死亡。

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