小堀遠州の花押

小堀 政一は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名、

茶人、建築家、作庭家、書家。備中松山藩第2代藩主、

のち近江小室藩初代藩主。
小堀遠州流茶道の祖。
1579年、小堀正次の長男として生まれた。
1595年に秀吉直参となって伏見に移ることになった

ここで政一は古田織部に茶道を学ぶことになり、

第一の弟子と称された。
1598年、秀吉が死去すると、正次・政一は徳川家康に仕えた。

正次は関ヶ原の戦いでの功により備中松山城を賜り、1604年

の父の死後、政一はその遺領1万2,460石を継いだ。

1608年には駿府城普請奉行となり、修築の功により、1609年、

従五位下遠江守に叙任された。以後この官名により、

小堀遠州と呼ばれるようになる。
1647年3月12日、伏見奉行屋敷にて69歳で死去した。

政一は生涯で約400回茶会を開き、招いた客は延べ2,000人に

及ぶと言われる。彼の門下としては松花堂昭乗、

沢庵宗彭などがいる。

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