無知を知る〜好奇心を満たす大人の勉強〜

無知を知る〜好奇心を満たす大人の勉強〜

好奇心だけが魂の喜びを知っている。



これからの人生は、自分の好奇心を満たすことを最優先に
生きていくつもりです。

大人になってからの勉強が
こんなにも楽しいことだったなんて 知りませんでした。
知らないことを知る喜び。知れば知るほど 知りたいことは尽きません。
そして 知れば知るほど 自分が何も知らないんだということを知り ますます知りたいことが増えます。
残りの人生は 自分の知りたいことを
どんどん体験しに行こうと思います。


人生を確実に折り返した今
知りたいことを知る残り時間を考えると
スマホに時間を取られてる場合じゃないな…と
痛感します。


日に日に 自分に戻っていく今日この頃です。

結婚35年にして、やっと!!!

やっとのやっと!!!!!

義理姉一族のご接待から解放されました。



思えば21で嫁いでからというもの

毎年毎年、5月のお祭りと

盆休みと正月と年に3回

昼と夜とおもてなしをしてきました。


今年、やっと!

「もう止めようか」となりました。



と同時に私の中で何かが

プチンと音を立てて切れました。



今まで集まるたびに

何度何度も言われてきたことが

まるで呪文のように私の中に

刷り込まれてきたんだ

という事実。



そんなわけないじゃん!

そんなの勝手なそっちの言い分!

と心の中で思っていたけど

彼女の顔を思い出すと、自然と

それらの言葉が浮かんできて

無意識のうちに、私の中で

リピートされて細胞に染み込んで

いたんだなあと愕然としました。



毎回毎回、顔を合わせると

バカにするような、批判するような

言葉を言われてきたのに

ただ黙って下を向いてきた…

そういう、自分にも腹を立てて

でもどうすることも出来ずに

出来ないがために、かえって

心の中で発酵してきた

言い返せなかった私の気持ち…



それもこれもみんな今は過ぎたこと。

幸いまだまだ私の人生は続くはず。

ならば、このタイミングで

すべての言われ続けて嫌だった

言葉たちは水に流そうと。



繰り返し繰り返し思い出して

これからの人生もそれらの言葉に

縛られて生きるなんてまっぴら。


だって私はそんな人じゃないから。

彼女が言うような人じゃない。

彼女は私をそう思ってるかもしれないけど、本当の私はそんな人じゃない。

それを彼女にわかってもらおうとしてきたけれど、もう疲れました。

分かってもらえなくても私は私。

至らないところも不本意なところも欠陥だらけの人かもしれないけど、でも今の私はこれが精一杯。

どんなところも慈しんで愛してこれからも共に歳を重ねていく。

そう決心できたことは、この35年の経験は無駄じゃなかったってこと。



今度のお正月は、晴れて家族みんなでのんびりできる。

ほんとにほんとに、お正月が楽しみだわ。



これから、もっともっと楽しみなことが増える気がする。



歳を重ねるのも悪くないですね。


歳を重ねる難しさを実感する

今日このごろ。



悲しいかな人間は歳を重ねるごとに 

出来ないことが増えていきます。


若いときは「出来ないことなんてない」

もしくは

「出来なくても出来ることをやればいい」

と軽く考え、実際そうしていたのだけど。



やりたくてもやれない

前は出来たのにガックリ

なんてことが増えて自分で地粉が嫌になる。

自己嫌悪…



例えば

ペットボトルの蓋を開ける

牛乳パックの口を開ける  

なんて、日常生活の些細なことであればあるほど自己嫌悪になる。

  


何となく想像できますよね。   



大切なのはここから。


出来ないときにどうするか?

誰かに頼むときになんていうか?



これが愛されるお年寄りになるわかれ目、  だと私は思うのです。



愛されるお年寄りは

「ちょっとごめんね、

開けられないので 開けてもらえる?」

とか

「ちょっと助けてもらえる?」

素直に頼むのです。



可愛くないお年寄りは

「 開かんなぁー」「おかしいなぁ」

と独り言に見せかけて

気付いてもらおうとする。



素直にお願いします と言えないのです。


なんでか分からないです私には。

知ってる人がいたら教えて欲しい。



自分が出来ないから助けて欲しいなら

素直にお願いするしかないと

思うんですけどね。




愛されるお年寄りになるために

今から準備しなくちゃね。


日頃の自分の心のもちようって

隠しても言い繕っても

分かる人には分かってしまうんですよね。



だから 言い繕わなくていいように

隠さなくていいように

常に誰に対しても オープンハートで

いたいと思う次第です…



今年の夏は海のテラスからこんな夕陽を眺めています。
刻々と変わる空の色を見ていると
心から幸せだなぁ、ありがたいなぁと思えるのです。


モヤモヤが止まらなかった2月。


ふと気がつくと

3月に入ってかれこれ一週間。

びっくり(@_@;)



そこで今朝は手帳を書いてみました。


今年は「to do思考からto be思考へ」

というフレーズにひかれて手に入れた

purelifediary。



やっぱり書くって大事。

思いもしなかったことが

どんどん降ってきて自分でも「えっ?!そんなこと思ってなかった…」と言いつつ

大きく納得した朝でした。



モヤモヤしてるから人のことが気になるのか

人のことを気にしてるからモヤモヤするのか



とにかくここ最近ずっと

義理母の一挙手一投足にイライラしてました。

ご飯を作るのも嫌なら顔見るのも嫌。

彼女の晩ごはんの時間を

常に気にして行動するのも

仕方ないと思いつつほんとにストレス。



そんなことをツラツラ書いてたら…

動機が不順

って降りてきた。




そうなんです。

褒められたい 

いい嫁って思われたい

って本音でいろいろしてきたから。



自分が後悔しないために

出来ることを出来る範囲でやる!

と決めたはずなのに、

いつしか義務感や正義感からの行動になってたってこと。


それでいて「こんなにやってるんだから

カフェ行ってもいいよね!」とか

「○○買ってもいいよね!」とかって

無駄遣いしたりして。


挙げ句は旦那さんに「こんなにやってます」

アピールして承認欲求に振り回されて。



自分の心に向き合わないで

誰かの何かのせいにして逃げる



そういう思考ぐせが私にはあるのです。



道理で何をやってもモヤモヤが晴れないはず。



クセなんだから何度も何度も反復練習で

直せます。

大好きなのワタナベ薫さんもおっしゃってます。

タダの思考クセは癖なので反復練習で直ります!と。




なのでとにかく今度のお休みは

断捨離することにしました!




頭でぐるぐる考えるのが得意な私は

物理的に身体を動かすのがイチバン!



モノを少なくして、不要なものを捨てて。



職場も変わるしいいタイミングです!

好きでもないけど温かいからってだけで

着ていた服は全捨ての勢いで!!!



捨てるの大好きな私はガンガン捨てよう!



そう考えただけでスッキリ✨✨



使わないモノでいっぱいの子ども部屋も

これを機にガンガン捨てよう!!





何度も何度も同じことを繰り返す自分に

嫌になるけど、気づかないより気づいただけで進歩!



三歩進んで二歩下がる…を繰り返し

一歩ずつ進んでいけばいいのです。



体験するために

この地球に生まれてきたのですから…







我慢について最近考えています。

日本人って我慢が好きですよねぇ

武士は食わねど高楊枝 の名残でしょうか?

はたまた 

欲しがりません!勝つまでは

の名残でしょうか?

私の中にあった勝手な思い込み。

私が我慢すれば丸く収まるなら。

自分の意見なんて主張しないほうが

あとあとトラブルにならないし。

我慢すればいいだけなんだから。

あとで友達に愚痴聞いてもらえばいいし。

ここで我慢すれば

旦那さんに大きい顔できるし。

我慢って百害あって一利なし 

ということに気づいたのは

旦那さんに対してそう想ってたんだって

気づいたとき。

義理母に対して 義理姉に対した

私こんなに我慢してるんだから

〇〇してもいいでしょ?!

って免罪符にしてたんです。

そんなこと必要??

やりたいこと、したいこと

あればすればいいのに。

やりたいことするために

したいことするために

我慢したことを

わざわざアピールするなんて。

気づいたときは本当にショックで 

自分の浅ましさに愕然とした。

そこから少しずつ少しずつ

我慢を手放せるようになりました。  

でもまだまだだよね。

今もついつい我慢しては

1人でイライラしてること多数。

それでも 自分の浅ましさを

受け入れて認めることができて

すごく自分自身が軽くなりました。

これでまた一つ軽くなるはず。

小さな一歩を積み重ねていこう。

一歩一歩が未来に繋がる唯一の方法だから。



もちろんこんなひとりカフェの時間も
我慢してたよ笑笑
独り言ブログにお付き合い
ありがとうございます。

薫さんが言うこと…今ならすごくよく分かる。 


幸せかどうか?幸せって何?
全ては自分が決めてるってこと。


現在56歳の私は40代のころ 
幸せってどこにあるんだろう?
どうしたら幸せって心から思えるんだろう?
当時は図書館に勤めていたので
書棚を眺めては「幸せ」とか「幸福」
とかって書名の本を見つけて
読み漁ってました。


幸せってどこか遠くにあると思ってたんですよねぇ〜
そして誰かにもらうもの?
誰かにあなたは幸せですって
太鼓判を押してもらうもの?
なあんて思ってたんですよねぇ~


まさか自分が幸せって思えば幸せなんだ
なんて思ってもみなかった…


というか 「自分がそう思えば幸せ」
なんてそんなバカな!!って感じ?笑

そんなわけないじゃん。
自分が幸せって思えば幸せなんて
そしたら誰でも幸せじゃん!!とか。
他力本願というか承認欲求の塊というか…
誰かに認めてもらわなくちゃ
誰かに幸せだって言ってもらわなきゃ
幸せだと思えないなんて!!!

今の私からしたら 気の毒というか
なんというか…


なんとも生きにくい人生だよねぇ
って感じ???


外に外に意識が向いてたんだよね。
そして「無いもの」にばかり意識が向いてた。
あれもない、これもない。
人と比べては落ち込んだりイライラしたり。

自分だけならまだしも 
それを子どもたちにもしていたんだから
ほんと申し訳ないことしました。


でもそんなものかもしれないね。


なにごとも体験経験。
歳を重ねるのも悪くないなぁと思う
今日このごろです。


とにかくすべての答えは自分の中にある。
薫さんが言う通り、
いつも自分が意識を向けていることに
注意を払わなきゃいけないってことですね。

だからこそ 人のことより自分のこと。

他人の言ったこと、人から言われたこと
なんて気にしてる場合じゃない!!


いつもあるものに意識を向けること。


自戒を込めて…







最後まで読んでいただき
ありがとうございます。