こんにちは

かおりんごです。

 

 

先日、年老いた父親が40代の引きこもりの息子を刺し殺す、という事件がありました。

 

 

引きこもりが問題のように言われてるようですが、私はそれよりもっと気になることがありました。

 

 

それは、つい数年前まで自身の母親への憎悪をツイッターにあげてたということです。

 

 

中学生のときに、勉強しないからと母親からプラモデルを壊されたことへの恨みつらみ。

30年も前のことなのに。

 

 

自分が大切にしているものを勝手に壊された。

ということは、自分は大切にされてない。

愛されていない、と感じたのではないかと。

 

相当なショックだったと想像できます。

 

 

もし許されるなら母親を殺したい

と。

”愚母”とも表現していました。

 

 

どれだけの憎悪でしょう。

 

そして、その裏に『もっと愛してくれ!』という悲痛な叫びを感じました。

 

 

 

毎月何十万のお金をあげていたとか、コミケに父親が付いていったとかなんとか。

 

 

暴力を振るう息子に父も母も恐怖を感じて、当たらず触らずやっていたのでしょうか。

 

 

それはこの息子さんの本当に欲しいことではなかったと私は思うのです。

 

 

それより、

ちゃんと自分に向かってほしい。

逃げないでほしい。

悪かったと謝ってほしい。

自分を尊重してほしい。

愛してほしい。

 

 

そんな思いを感じるのです。

だけど上手く言葉にできないから暴力になってしまう。

 

 

あくまで私の推測ですがそんな風に感じました。

 

 

 

私も昔、母親を殺したいと思ったことがあるのです。

 

母との関係でも書いてきましたが。。。

 

私の母は、いわゆる過干渉ママでした。

ひとりっ子ということもあってか、24時間監視されてるような感じがしていました。

 

 

 

着るもの、食べるもの、やること、友達・・・すべて母が決めるのです。

 

 

いつも言う言葉が、

『素直になりなさい。』

 

つまりは、母の言うことを聞きなさい、ということです。

 

 

私が嫌がったり要望を言ったりすると、それは反抗とみなされて、

『強情な子だね。』

『ひねくれた子だね。』

『親に反抗するなんて、親不孝な子!』

 

 

だから私はずっと自分のことを、ひねくれて強情で親不孝者だと思っていました。

 

 

 

そんなことを思いながらも小学生のころまではまだなんとなく母に従ってました。

母の言うことは正しいと思っていたから。

 

 

だけど、思春期になって気付いてしまったのです。

『母は間違ってる。』 と。

 

 

私を支配しようとする母。

私の意志を無視する母。

私を他人と比較して罵倒する母。

 

 

おかあさんの言ってることはおかしい。

 

 

 

さらには、小言が延々と続く日々。

ときには私の部屋のドアの向こうで2時間以上小言を言っていることもありました。

 

 

 

そんな母に、私は耐えられなくて、

 

『うるさいんだよ!!くそババぁ!!』

と、泣いて反抗しました。

 

 

 

それまで素直で従順だった娘が突然クソババぁ!と自分をののしってくるわけです。

 

母は驚いて、『まぁ!なんて恐ろしい子!!』と。。。

 

 

これが私には耐えがたい悲しみでした。

 

 

 

クソババぁ!と言わざるを得ない私の気持ち、わからない!?

どうして私をここまで追い込むの!?

どうしてこんなに私を傷つけておいて、私を怖がるの!?

 

 

おかあさん、ちゃんと私を見て!!

他人なんかどうでもいい!!

世間体なんてクソくらえ!!

私のことをちゃんと見てよー!!

 

 

叫んでも叫んでも、まったく母には届きません。

手紙を書いても、言葉で伝えても届きません。

 

フッと笑っておしまいでした。

 

 

 

空しくて悲しくて。

そして小言の日々は続くのです。

 
 

ある日、あまりに長い小言をずっと言い続けている母に、私は罵詈雑言のありったけを吐いて、部屋から押し出そうとしました。

 

もう、出てってよー!!!と。

 

 

それでも屈することなく母は、いかに私がダメ人間かを言い続けるのです。

 

 

 

その時何かがブチっと切れました。

殺したい!!

 

母を殺したい。

 

と思ってしまったのです。

 

このうるさい私を貶める生き物を抹殺したいと。

 

 

 

あのときもし近くに金属バッドでもあったら、私は母を殴り殺していたに違いありません。

 

 

 

あまりに激しく怒鳴りあってるので、危険を感じた父が止めに入ったことも何度もあります。

 

でもその時の父は私の方をたしなめるのです。

 

 

なんでよ!!悪いのはおかあさんでしょっ!!

 

と、私はさらに怒りと悲しみに襲われたのでした。

 

 

 

 

学校では楽しく笑ってすごして。

お稽古事にも普通に通って。

 

傍から見たら、普通の明るい中高校生時代に見えていたと思います。

 

 

 

だけど本当は誰にも私の心の叫びを話すことはできず、辛くて辛くて。。。

さらには母親を殺したいと思うなんて、と自分を責めてさらに苦しく辛い日々でした。
 

 

 

 

結婚して家を出て、物理的に母と離れてやっと少し楽になりましたが、母の過干渉はその後もずっと続いたのです。

亡くなる数年前まで。

 

 

 

だけどね、おかしなもので。。。

 

母はやっぱり母なのです。

大好きな母なのです。

 

 

周りからは私と母はとても仲良し母娘に見えていたようです。

だって、一緒に買い物に行ったり旅行に行ったりしてましたからね。

 

 

 

大好きな母に愛されたかった。

母を喜ばせたかった。

一緒に笑いあいたかった。

 

 

そして、ひとりっ子なのに家を出たということに引け目も感じていたのです。

罪悪感があったのです。

 

 

 

母親って、子どもにとって一番愛する存在。

愛されたい人です。

 

 

過干渉ってひとつの愛の形ではあるけど、条件付きの愛なんです。

 

こうじゃないと、あぁじゃないとダメ。

ダメな子は愛されない。

 

 

 

私はずっと、ただの私、このままの私、何者でもない私を愛してほしかったのです。

 

 

今書いてて分かってきたけど、だからずっと私は『何者かになろう』としていたんですね、きっと。

 

 

 

ただの私では価値がない。

だから、何者かにならないと。

 

母親が認めるような、価値ある存在にならないと、って。

 

 

 

 

今朝、すごく鮮明に当時のことを思い出してしまいました。
この事件で殺された息子さんに同情してしまったから。
 
 
 
誤解を承知で書きますが。。。
 
 
私は、この息子さんはただ”愛”を渇望していたんじゃないかなと思うのです。
 
 
 
親は良かれと思って、しつけと思ってやっているのかもしれません。
それも愛です。
 
 
だけど、子どもはただただ”何者でもないただの自分”を認めてほしいのです。
尊重してほしいのです。
 
自分が大切に思ってるものを否定しないでほしいのです。
 
 
 
そんな積み重ねが、悲しみから憎悪へと変わっていってしまったのかなと思うのです。
 
 
 
これは私の勝手な解釈ですから異論もあると思います。
 
 
ですが、本当に欲しい”愛”を受け取っていたら、こんなことにはならなかったとは思います。
 
 
 
父親を責めるつもりもないです。
母親を責めるつもりもないです。
 
もしかしたらこのご両親も、無条件の愛を受けていなかったのかもしれません。
 
 
 
世の中そんな人ゴマンといるよ。
ごもっともです。
 
同じように育っても、それを反面教師として自分を生きていく人もいます。
 
 
◎◎だからこうなった。
と、短絡的に言うことはしません。
 
 
 
でもそれでもやっぱり無条件の愛を受けて育ったら、もっと違う形の親子になったのではないかなと思う私です。