乳がんと判ってから、転院するまでの経緯を先日ブログに書いたので、今回はその間に悩んだ
再建をするかしないか?
転院先をどう選んだか?
を書きとめておこうと思う鉛筆



がんと判った時にかかった病院は、私が今住んでいる地域では、一番大きな病院。
家から車で45分。
夫の実家である今の住まいはとても田舎で、市の半分くらい田んぼと畑。市内には大きな病院はなく、個人医院か小規模の総合病院しかないので、この地域の人は、やや遠くても大きな病にかかったらここに行く人が多い。
私は2度、入院と手術をこの病院で経験した。
その時の印象は、うーん。。嫌なドクターもいたし嫌なこともあったけど、素敵なナースたちもいて、、お世話になったので、まあまた大きな病気になったら来るんだろうなと思ってた。
でも今回の乳腺科の男性医師はほんとに最悪で、二度とお目にかかりたくないムカムカと思ったので、少なくともその人が居る間はここの乳腺科にはもう受診しないムキー人にも勧めない!
名誉毀損とかになるから病院名もその先生の名前もブログには書かないけど。。

あ、でももちろん、私が転院を決めたのは、その男性医師の態度が気に入らなかっただけではない。(大きな要因ではあるけれど)
信頼できない人に自分の体を委ねられない手という精神的なことだけでなく、乳房再建ができないという点から、物理的にも、乳がんに対しての最新で最良の治療はこの病院ではできないんだと判断したから。

私は、乳房再建ということすら、その日まで知らないくらい、自分の病気についてまだまだ無知だった。
自分が乳がんと判ってからも、余命だとかステージなどの重要ワードが出てこなかったのをいいことに、私は大丈夫そうだOKと勝手に思い、病気について調べることもなく過ごしていた。
わからない未来のことを、不必要に不安がっても仕方ない、なるように為る!訪れた現実に前向きな気持ちで対処するしかないニコニコ
というのは昔からの私の信念だったのだけれど、今思えばその裏に、
病気について調べると怖くなってしまうから、見ないでおこうショボーン
という意識が隠れて働いていた気がする。
病気のことをちゃんと知って、これからするかもしれない治療のことも調べて、その上で前向きに構えていたら、これが私の信念キラキラって胸張って言えたけど、都合悪いことは見ないフリでの虚勢だったなあ。。
でもそこに、知らないワード

乳房同時再建

が現れて、選ばなくてはいけないから仕方なく調べ始めたら、でるわでるわ。。
もう、知らないことだらけだった!
いかに自分が恐怖で耳を塞いでいたのかを、ここで思い知った。
今でも、専門家でもなんでもないし知識が豊富なわけではないけれど、とりあえず「わからないことや都合悪いことから目を背けないでおこう」という教訓は身についたと思う。

ひととおり乳房再建について調べた後、私は初め
再建しなくていいかも?
と思った。
全摘出の提案を受けた時の記録にも書いたけれど、私は自分のおっぱいにもうあんまり執着やこだわりはなかった。
片方なくなっても特に差し支えないなーって。
だから、再建絶対したい!とは思わなかった。
ただ、胸を失くして喪失感が。。女性として悲しい。。という体験談をネットでみたりすると、後から悲しくなるのかなーと想像したりショボーン
人づてに、昔、再建という手段がなかった時代に乳がん手術をした方の話を聞くと、やはり元のようにできるならばしておいた方がいいと思うよ!と言ってる方が多くて、迷ってはいた。
ちょうど、お姑さんの知り合いに何人か乳がんを経験した方がいて。
再建しなかった方が言っていたのは、やはり外見のこと、それと、傷の痛み
脂肪を取ってしまっているから、冬は滲みるようにすごく寒さが傷に辛いんだって。。
それと、いくらパッドを入れてもやっぱりなんか左右違ってしまったり、温泉とかスーパー銭湯行くのもやっぱりなんか嫌だって。
そういうのを聞くと、そうかーショボーンって思って。。私は痛みにも弱い方なので。。

なかなか、再建についての答えが出せなかったので、逆に転院したい病院は早く決まった。
迷っているなら、やりたくなるかもしれないから、再建を選ぶこともできる病院へ。
そしてどうせ変わるなら、
ここらで一番の、がんのスペシャリストの病院に行きたい!!
それが私の希望だった。

生まれも育ちも愛知県で、結婚し子供が生まれてから数年は名古屋市内に住んでいた私は、がんといえばこの病院を連想する・・という病院があった。
その名も
がんセンター
名古屋市千種区にある、がんの研究と、治療を行っている施設。正式名称は愛知県がんセンター。

まだ学生だった頃、母の友達がここに入院して、一緒にお見舞いに訪れたことがある。
詳しいことは覚えていないけれど、当時はがんは死んでしまう確率が高い重い病気だったから、子供心に怖かった印象だけある。
そして名前の強烈さから、「がんになったらみんなここに行くんだ」と間違って覚えた。笑

そしてここには縁もあった。
実は私の夫の長兄は、若くしてがんで亡くなっている。(先日、癌封じのお札を買ってきてくれたお義兄さんは次男で、夫は三男)
私たちが結婚して間もなく長兄のがんが判り、このがんセンターにお世話になっていた。
長兄のがんは、神経のがんだった。
全身に広がってしまうとても珍しいがんで、治験の対象となり、新しい治療も色々試して頑張ったけれど、進行が非常に早く多くの臓器に転移してしまい・・36歳の若さで亡くなったえーん
その頃、私たちは実家で同居はしておらず、私は妊娠中。
しかも途中から
妊娠中毒症になり入院→超未熟児で出産→子供はNICUのある病院へ搬送され3か月入院・私も出産した病院でしばらく入院→退院後は子供の元へ母乳を運ぶ日々病院病院
で、申し訳なくも闘病中のお義兄さんと関われる余裕がなく、当時のことは後になってお姑さんから色々と聞いた。
お姑さんの方も、大切な跡取りで農家の後継者としても頼りにしていた長男ががんになり、その闘病を支える為に、また他の家族の世話も含め(当時義父とその母も体調が良くなかったらしい)ものすごく大変な日々を送っていたので、初孫が生まれるのにお祝いにも手伝いにも行く余裕がなく申し訳ないと連絡があった。
お互いに謝って、お互いに自分の家庭を支えるしかなかった。
なのでリアルタイムで闘病を支えたり見守ってはいないものの、自分の子供が同じ時期に生死の境目にいたため、すごく運命的なものを感じていた。長兄と子供は干支も同じで、不思議な縁だなと今も思う。
あ、話が逸れたアセアセ戻さなきゃ。
お姑さん曰く、がんセンターは、すごくいい病院だったと。
治療の設備は最新のものが揃っているし、医師も看護師もみんな親切で親身に相談にのってくれて、患者であるお義兄さんだけでなく、支える家族であるお姑さんもありがたかったという。
そして何度も聞かされていたのが、
治験で様々な薬や治療方法を一年半頑張った。手術で取り除いた神経は、研究のため保存させてくださいと言われた。その神経や、治療のデータが、きっと誰かの役に立っているはず。だから兄ちゃんの死は無駄じゃないって思えるよ^ - ^キラキラ
という前向きな言葉!
大切な家族を失っても、そう言えるようになるには年月も必要だったと思うけれど、がんセンターの治療の日々が納得できるものだったからこそ出る言葉だなと私は感じた。
そんな訳で、転院が頭によぎった瞬間、同時にがんセンターが浮かんでいた。

あとは、客観的な数字や情報が知りたいなーと思ってネットで検索。いくつかのランキングや、スーパードクターとして名医を紹介するサイトなども見てみた。
その中の情報の一部だけど、、



↑ランキングはプレジデントウーマンさんの記事からお借りしました。

↓こちらはがんセンターのホームページから



手術件数を年間で見ると、最近は500件以上。
1日1人以上乳腺科だけで手術していて、やっぱり愛知県内では圧倒的にトップグッ



切除と温存の率や、再建率など、これだけの数があるから数字にも説得力がある。
ちなみに転院前の病院では、最新の年度の手術数が、甲状腺など内分泌系も合わせて84件と約6分の1。この差はやはり大きい!ハッ
というわけで、ほぼ迷いなく、私はがんセンターに転院を決意した。

あとは再建。。
転院前には結局決めきれなくて、がんセンターで説明をしっかり聞いてから決めようと思っていた。再建するメリットデメリットは、調べて知識は得たけれど、それをどう捉えるかは人それぞれ。私の悩みどころは、、

再建の費用。
再建した場合、回復までの期間はどれくらいか。
術後の辛さは再建するしないで差があるか。

これらの、ネットや本で知ったことと、がんセンターの持っている情報と比べてみて、納得できたら再建しようと思った。
結局は、ぶっちゃけどっちがいいの?患者さんの声はどう?って、聞きたい。笑
すごくお金と時間がかかって、すごく危険だったり辛いなら、そこまでして胸をつくりたいと思わない。でも、ちょっと頑張れば同時に作れるなら、しようかなーって。
全摘してから、治療が落ち着いたあとに、改めて必要と思ったら再建する手も考えたけど。。
せっかく傷が癒えたのにまた手術で痛い思いするのも嫌だしショボーン
がん治療が終わった後、仕事を再開してから、
やっぱり胸作りたいからってまた何ヶ月も休めるのか?タラーとも思うし。
だから、もしやるなら同時じゃないと!と思った。

よし、大体頭の中がまとまってきたぞー!
あとは、いい先生に出会えますように流れ星そしてその先生としっかり相談して、納得いく治療と手術ができますように流れ星
そう願いつつ、初めてのがんセンター受診日を迎えた。