「可哀そうだから」は、本当に子どものため?

 

 

― 子供ごころの愛と、大人心の愛 ―

 

「危ないからやらなくていいよ」
「お母さんがやるから大丈夫よ」

 

 

 

 

 

 

そんなふうに、娘に包丁を持たせるのを

私はずっと避けてきました。

 


小学生のあの子が

もし手を切ったら可哀そうだから――。

 

 

でもある日、娘の口から出たひとことに

私はハッとしました。

「私、5年生なのに包丁、持ったことない」

 

そのとき、ようやく気づいたのです。

 


本当に可哀そうだったのは

「やらせなかったこと」

だったのかもしれない。

 

 

 

  子供ごころの愛

 

 

――優しくしてほしい、そばにいてほしい

 

子供の頃、私たちは

「優しくしてくれる人」が大好きでした。

 


怖いことや悲しいことから守ってくれて

いつも味方でいてくれる人。

 

 

叱られるより、ほめられたい。

突き放されるより、抱きしめてほしい。

そうされることが愛されていることと感じていた

あの頃の私たち。

 

 

これが、子供ごころの愛のかたちです。

 

 

 

  大人心の愛

 

 

 

――信じて任せる、成長を促す

 

 

でも、大人になるにつれて、私達は気づいていきます。
ときに「突き放すように見える愛」が

実は深い愛情であることを。

 

  • 子どもに任せること

  • 困っていても、すぐに手を出さないこと

  • 挑戦させ、失敗させることもある

 

それは簡単ではないけれど、
子どもを信じて育てていく愛
それが、大人心の愛のかたちです。

 

 

 

 

  「可哀そう」の本当の意味って?

 

 

私はずっと、過保護で

「手を切ったら可哀そう」と思っていました。

 

 


でも今思えば、それは

怪我をした娘の姿を見るのが怖かった私自身の気持ち

だったのかもしれません。

 

 

 

 

 

本当に可哀そうなのは――
チャレンジする機会を奪われてしまうこと
自分でやってみた、という自信を得られないこと
「私はできる」と思えないまま、大人になってしまうこと

 

 

 

それに気づいたとき
「守ること」が「奪うこと」になることもあるのだ

初めて知りました。

 

 

 

  小さな「できた」が自分を育てる

 

はじめて包丁を持たせたその日、娘は最初こわごわと野菜を切りました。

 


ゆっくり、ゆっくり。
でも切れた瞬間、パッと顔が明るくなったのです。

「ママ、見て!私できた!」

 

 

あのときの笑顔は、きっと一生忘れません。

 


ほんの少し勇気を出して手を離したからこそ、
娘の中に「私にもできる」という芽が育ったのだと思います。

 

 

 

 

 

  おわりに

 

 

「可哀そうだから」という優しさは

とても大切な気持ちです。

 


でもその優しさが、ときに子どもの成長を妨げることもある。

 


そんなふうに、私は娘を通して学びました。

 

 

本当の愛は、信じて任せること。
そして、見守る覚悟を持つこと。

 

 

それは、母としての愛のかたちが

少し変わっていくことかもしれません。

 

 

「可哀そう」は愛じゃなかった。

 

 

——あなたが今、「可哀そうだから、、」と子供に思っていることはどんなことですか?


40代、50代。

子どもがそろそろ自分の足で歩き始める頃。

そんな時期のお母さん達に、書いています。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。