先日upした このブログを読んで
大阪の姉から
昨夜ラインが届いた^^


姉の知らない 母のステキを
こうやって分かち合えることが
とっても嬉しいなぁ♡

ブログ書きはじめて
よかったなぁ♡

  
と、むふむふ♡すごしていたら。
 
  
半月ほど前の
母とのやり取りを思い出したので
ここにシェアします^^
  
  
♡♡♡♡♡♡♡
  
  
私の母は、満州で生まれた。
  
母の母親は 産後の肥立ちが悪く
寝たきりで、母を抱くこともなく
母が1歳のときに他界した。
 
その後終戦をむかえ
母が2歳のときに
7歳の兄の背中におぶわれて帰国。
  
戦後の大混乱のときを
5歳、7歳の兄と、父親に守られて
今ここに 繋がれた命である。

 
  
これまで何度となく
母とこの話をし
その度に、深い感謝に包まれてきた。
 
  
  
そして今回は
このエピソードから
新しいステキ✨を発見した♡
 
当時7歳だった叔父の目線で
このエピソードに
ふと、触れてみたのだ。
  
  
 
彼が5歳のときに
母親が寝たきりの植物状態になった。

生まれたばかりの妹と
3歳の弟の身の回りの世話をし
仕事で留守がちな父に代わり、家を守った。
 
その後6歳で母が他界。
その悲しさを吐き出すことなく
幼い弟と妹の 母親の役割をすると、決めた。
 
7歳、終戦。
 
父親は、家族を護るために
足手まといになる2歳の妹を満州に残していく
と、泣く泣く苦渋の決断をするが
 
叔父は「さつこは、俺が負ぶって日本へ連れて帰る」と。
栄養失調で、はげしく下痢をする
お世話の大変な妹を

大量の荷物と共に背負い
5歳の弟を励ましながら
その足で、日本へと帰国した。
 
 
ああ。
どんな思いで その一歩一歩を
踏み出し続けてくれたんだろう。
 
どんなに不安で 辛くて
苦しかったんだろう。
 
当時のまだ幼い叔父を思って
涙があふれた。
 
 
 
そして、ふと。
 
 
 
その彼の支えが
2歳の母だったんだ。
 
 
 
彼の立場になって
エピソードを辿り
ストンと そう感じた。
  

  
ただそこに生きて
呼吸をして
泣いたり ぐずったり 笑ったりしている
 
その存在そのものが
当時の叔父にとっては
大きな 大きな 支えであり
 
その勇気の 源だったんだ。
 
 
 
あなたが わたしが 生きている。
 
ただそれだけで
 
誰かの勇気の源になっている^^
 
 
 
今日も、しあわせやね♡
 
 
 
たくさんの たくさんの
おかげさまに
愛と感謝をこめて。

ありがとうございます❤️