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A lundi**

徒然に書こうと思います。
学校生活、猫、フルートの事などなど・・・

いま

わたしの

願い事が

叶うならば

やる気がほしい







世の中には2つの者がいる。

すなわち、猫おばさんになる者と、ならない者である。


猫がいなくてもなんとも思わない、寧ろいない方が清々する者がいる一方で

猫に拠り所を求め、猫にご飯を与え世話することで懐かせることに毎日を費やす者がいる

猫はご飯を貰うために猫なで声を出して擦り寄る

猫は静寂や孤独のそばにいる


私は猫が大好きだけど

私は猫おばさんにはなるべきではないと、今朝思った





この大空に

翼を広げ

飛んでいる猫は

いるか

村上春樹訳のフラニーとズーイ読み終わった。

・お祈り
・もう、うんざりなのよ
・独善的
・なんもわかっちゃいない、それでは前に進めないよ
・イエスと聖フランチェスコとシーモアをごちゃまぜにして、場所を選んで、勝手に精神を崩壊させてる
・演じる
・太ったおばさんの為に靴を磨く
・皆太ったおばさん
・太ったおばさんは実はイエス


お兄ちゃんに借りたのだけど、「君のあの受験の時を思い出して重ね合わせちゃったよ、はっはっ」って言われた。
ズーイの言葉はまさに。納得・・・。

野崎孝訳と英語のも一緒に貸してくれたので、そちらもこれからチャレンジ。


あと直近では林修と小池百合子の対談、「母」という病、をさっと読んだ。

求めていた答えの一部が見つかったかもしれない。
気づいてもなかなか抜け出せない、「親」という圧力。それが善意であれ、愛情であれ。
もう少し、あと少し。


私は、多分かなり大切にされてきたし、愛情も沢山もらっている。
それを素直に受け取って幸せな気分にならず、その分恩返ししなければ、いい子でいなければ、しっかりしなければ、何か人の為にならねば、と締め付けてしまう根底には、やっぱり姉の件があるのだと思う。
それに気づいてやっと、自分で自分にかけたマインドコントロールが少しずつ解けてきている。まだ完全ではない。
私はズーイが言うように、姉と神をごちゃまぜにして、偏った信仰をしていたんだ。全知全能の偉大な存在として、自分を常に監視する者として。本当は太ったおばさんなのに。


私は、誰でも心の中ではどこか生きづらさや誰にも言えない苦しみ、ネガティブな感情を持っているのだろうと思っていた。でも、必ずしもそうでないらしい。穏やかに生きられる人はそれで生きられる。いつも神経を張り詰めて、恐怖や不安、起伏の激しい感情と向き合って頑張ってコントロールしているのではないらしい。
きっとこれを読んでこの人病んでんな~と思う人も多いだろう。
私はこのようなことを常日頃考えているから、病んでる訳ではないのだけど。この状態がある一定の人には病んでいると認識されているだけで。

文学や芸術に出会って気づかされる・共感する内容は、いつもこういったものだ。少なくとも作者は同じ気持ち、人間の不可解な考えについて、私と同じように、もっと深いところまで考えている。私みたいな経験の浅い、若者の脳が考えることは、多分誰かがどこかで具現化している。誰にも理解され得ないなんていう孤独感を抱く必要はない。




18日の試験は捨てていたのだけど、思いの外簡単で普通に1次は通りそう。
でもそれで更に萎えて、第一希望も定まったのでますますこれからの試験対策に身が入らなくなった。ろくに試験勉強してない。まだ1次の結果出てないのに。
一度目標から外すと、面白いくらいそれに対してやる気を出せない。
これ、第一志望しくじってどん底~とかになったらどうしよう。手札少なすぎ。
でもどうしようもなくやる気でない。


月曜日から楽器を吹き始めた。1度始めると疲れるまで、3時間以上。5時間位吹いたかな。
なんか、急に苦手だった指が回るようになってた。早いパッセージは必ず息と指が連動しなくてスカスカな音になっていたのだけど、かなり解消されてきた。なにが起こった。
勉強中に急にライネッケの協奏曲にハマって、最近は専らそれを聴いていた。それでどうしても吹きたくなって、楽譜を買った。夢中でさらった。このレベルの曲にしては随分譜読みが速い、我ながら。表現には程遠いけれど。
春の暖かい風に、心がふわっと優しく包み込まれるような、慈しみが体の奥から溢れ出てくるような曲。


新しい楽器になって、自分の実力が楽器に見合ってないから早く楽器と肩を並べたいという気持ちが強くなった。あと、自分がイメージする表現や音色に的確に答えてくれるから心地よくて、もっと、もっと求めたくなった。ギラギラしすぎない、落ち着いたピンクがかった金色がとても綺麗で、理想が詰まっているような感じ。



本読んで、楽器吹いて、猫と昼寝して、映画みて(今日はレミゼやってたの!)、なんて幸せな一日。

6月のwowowはトニー賞にフランス物月間。トニー賞の司会はヒュー・ジャックマン、みたいみたいみたい。土地の抵当権とか合理的期待形成論とかやってる場合じゃないから!



レミゼはもう何回見たか忘れちゃったけど、何度見ても号泣。
やっぱり、ガブローシュ、かっこいい・・・
昨日・今日とゼミで、全国の市長や官公庁の人が交流するイベントに潜入してきた。
市長が集まって議論するというなかなかレアな機会。
今地域がどう動いていこうとしているのか、トップが何を考えているのか、少し理解が深まった。



今日は分野に分かれての意見交換。私は教育分野を見学。

自分が考えたことは大体話し合われ、政策に落とし込まれていた。
自分の考える能力はそんなものかと悟ったと同時に、トップが考えることも自分が考えられる範囲のことなのか、と感じた。本音や落とし込むまでの過程に特別な技術があるのかもしれないが、ない気がする。「頭のいい人が考えるしかない」と考える必要はない。十分自分の力は活用できる。
大人の会議を見ると、プレゼン方法や態度、司会進行など学ぶところも多かった。でも一番感じたのは、「やっぱり人間なんだ」ってこと。人柄や個性がちゃんと現れている。その市長の雰囲気で、今その市がどのような状況なのか、感じ取れる気がした。気さくにダジャレを交えながら実施した成果を報告する人、いじめなどの問題を不安視する人、ボソボソ喋って聞き取れない人(笑
どこにいっても、どう切り取ろうとも、社会の縮図。

外部からやんや言う批判については、実は大抵「実行」はされている。それでも、上手くいかない。
だからまたその問題について解決策を見出す。その繰り返しなのだろう。

嬉しいことに卒論のテーマと丸かぶりだったので、国側の欲しい資料が丸ごと手に入った!
政策の現状や方向性が結構分かったし、5月にして思わぬ進展。
ただ、やっぱり自分の考えたことは大体検証済み?で、ある意味答えが見えてしまったのでこれからどう掘り下げていこうという感じ。自分なりの切り口を見いだせるといいな。



一方で、人生をどうすればいいのか分からなくなった笑
「公務員志望です」「〇〇行きたいです」

そのあとの風当たりが強い。安定?あそこは現場を分かってないからねー
志を持ってやろうとしているのに、大人があからさまにこの反応。
なんていうか、主権者が行政を監視するのは当然の権利なんだけど、公務員への批判は根拠もなにもないところにある。メディアのイメージのみで、「公務員は批判するもの」って頭にインプットされてる。きちんと「○○が問題だよね」となるならいいんだけど、「お気楽ね」「つまらないでしょう」「安定?」とそればかり。企業だって先生だって、トイレのおばちゃんだって、いなかったら社会が回っていかないでしょう。公務員だっていなきゃ社会は回らないのに。そんなレッテルを貼られ続けたら、優秀な人は抜けていくし本気で頑張ろうとしている人の心を挫く。良くなるはずのものも良くならない。


一方で、その状態が現実なんだろうとも思う。
そして、大きい組織の体質を変えるなんてトップになっても難しい。
結局公務員というのには限界があって、安定に拠り所を求めるしかなくなってしまうのかもしれない。


この合格してもいない、まさに試験期の真っ只中というところで、進路に迷いが^^!うぇい!
今更変更しても上手くいかないし、一度決めると動かさない頑固者なので結果は変わらないと思うのだけど、大切なことだからな・・・。アホですな。

でもまあ悩めてよかったかな。いい意味でも悪い意味でも大人の社会への期待を捨てた。
希望をなくしたのではない。結局どこからでも、どこへ行っても誹謗中傷は飛んでくるし、キラキラした世界が喜んで迎えてくれる訳じゃない。結局自分を信じて、自分が満足できるように現実と向き合っていくしかない。
もっともっと、具体化する作業をしよう。
私は合理主義・理想論すぎる。現状は、漸進主義で進んでる。



明日ね、試験本番なの!!!笑
面白いくらいやる気でてない。多分明日のはダメだな。
自分がやる気になってないものに対しての力の入れられなさ。もう少し配分できればいいんだけど・・・。


まあでも、かなり刺激を得た2日だったので、後悔はない。
明日は試験のあと楽器を練習して、お兄ちゃんにフラニーとズーイや他の本を借りて、夜は久しぶりにマレーシアメンバーと再会。また刺激が得られるでしょう。

学生だもの。私の人生だもの。遅いとか考えないで、悩めるだけ悩んどこーーー