問題が解決すると困るから…。私が私を苦しめてました。 | 天津甘栗

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自分のふとした気付きや、誰かが気づかさせてくれたこと、ただの日常のつぶやきなど、きの向くままに綴っていきます。

今日は、以前書いたこの記事について、その後思うことを。

記事の中のふたつめのお話、
音痴な私と過去の出来事についてです。



私、この記事を泣きながら書いていてね、

このことは、やっぱり今思い出しても苦しくて涙が溢れてしまう。
いつかごっそり掘り起こせるかなぁ。
こういう自分を癒していけたらいいなぁ。

って思っていたのですけど、

ついに来ましたよ。

ごっそり掘り起こすときが。



悔しくて悔しくて。

この悔しさはずっと消えないんじゃないかと思うほどに悔しくて

まだ涙が出てくるのですけどね。


再び、泣きながら掘り起こしました。








音痴な私と過去の出来事のその後


実は、

私が歌うのをやめたきっかけのお父さんも音痴だったんだと分かったんです。

運転するお父さんの口ずさむ歌を初めて聞いて、もしかして、と。

それに気づきたときの、なんとも言えない気持ち。。。。ねぇ。

あの時、お父さんは私をバカにするつもりで言ったのではなくて、
ただ自分と一緒だと思って言ったんじゃないかと思ったりもします。
お父さんも傷ついてきたのかなぁなんて。
本人には聞いていないので本当のところはどうなのか分かりませんけどね。




そうやって変われそうなきっかけがあったのに

素直になれなかった私か握りしめていた気持ちも、ちゃんとありました。



私は、
祖父から虐待を受けていて、
祖父と仲が悪い母親が虐待のことを知ったら家族が壊れると思っていたから親にも誰にも言えなくて、
どこにも安心がなくて、
親から受け入れられないことは家にいてはいけないことと同じくらいに感じていました。

だから、もうそれはそれは必死でダメな自分を隠してやり過ごすしかない、と思っていたんだなぁと。







今思えば

私がずーっとやっていたのは、

親の期待の中で生きるという無理ゲー でした。




今は、まだあの時の悔しくて悲しくて怖い気持ちにのみこまれていますが

あれが無理ゲーだったんだと思ったら

まぁ、よく頑張ってきたなぁとは思います。。。


あーーーー。わたし、おつかれさま。





と、いうことで、あれですね。




音痴な私が問題じゃなかったんだ、

ということですね。


それを、自分を隠すための材料にしてきただけで、

本当は、
虐待を受けてても誰にも言えなくて平気なふりして自分を助けてあげられなかった自分を隠していたかった、私。


小学校入学前から小5くらいまで虐待を受けていて、
でもその当時はそれが虐待やという認識はなくて、
あれは虐待やったんやとやっと自分で思えるようになったのは、
中学卒業して実家でる頃だった気がします。


自分がされてることが虐待と分かってしまえば、
大きな問題になってしまうから、
分からんようにしてきたのかもしれません。

それを、いろんな問題に見えるもの(音痴とか)を盾にして隠してたんやですね、私。

そして、
それを家族を責める材料にしつつ、
自分のことも責める材料にしてきたということ。

いろいろ解決したら、責める相手がいなくなって、自分が困るってことだったのでしょうね。



はぁーーー自分で自分を苦しめてましたー。



ごめんなさーい。





そして、ほんま、おつかれさーん。