あの頃の私がまだ頑張ってた | 天津甘栗

天津甘栗

自分のふとした気付きや、誰かが気づかさせてくれたこと、ただの日常のつぶやきなど、きの向くままに綴っていきます。


人がたくさん集まるセレモニーやパーティーが苦手だった。


どう振る舞っていいのかわかんなくて緊張するし
何かダメなことしてしまってないかって不安になるし
周りの人たちがとってもスマートに見えて気後れするし
そもそも何を着ていったらいいか自信ないし


3月にいくつかのパーティーに参加して、
そして、久しぶりにセレモニーにも参加して、

なーんだ、不安で緊張してたのは私だけじゃなかったんだな。
みんなもそわそわしてたんだなぁー。
って、わかって、ちょっと嬉しい。安心した。



みんな、
それぞれの思いを持って、
それなりに緊張して
気になるところだけ反応して
あとは、だだそこにいて参加している。



以前は、そわそわしてるときに、なんとかしなくちゃ!と、
いろんなことに気を張り巡らして、悪あがきをしていたな。

そして、その場は、なんとか楽しい感じになったり、うまくいったんじゃないかと思ってた。

それで、その後どっと疲れて、疲れすぎてどんよりする。
楽しみたかったのに楽しめなかった残念な私が残る。


たくさん人が集まってると、いろんな人のいろんな気持ちを頑張って引き受けようとしてしまっていたんだろうな。

人の気持ち優先になっちゃって、
気づいたら、自分が疲れはてている…。

ぜーんぜん、楽しめてなかった。




だから、今回のパーティー、セレモニーにシーズンは、
そわそわしても、悪あがきぜず、なにもしない。流れに任せる。
そんなことにチャレンジしてみた。


いつもなら、こんなときは盛り上げようとしてめっちゃしゃべってたなー。とか、
ちゃんと振る舞わなきゃ!と思って、ずっと、どきどきしてたなー。とか
どんな風にしているのが正解なのかを常に確認したがってたと思う。


でも、今回は、そんなことはしないと決めたから、
自分はただここにいるだけでいい。
反応したいことだけに反応したらいい。
話したいと思った人と話せたらいい。

そしたら、思いの外、自然に楽に楽しめた。

なーんだ、それでよかったんだね。






私の実家では、田舎で飲食店が少ないこともあって、
よく家に人を招いて宴会が開かれていた。
お座敷で、数十人集まる宴会。個人宅だから終わりのない宴会。

ある程度の年になると、そんな宴会の最中は
酔っぱらいの大人たちが、お酒がない料理がない箸がない皿がないだの言ったときに、はいはいと、応える役回りだった。
(田舎の女の子の通る道?)

あの頃は、ワケわかんないで手伝っていたけど、
酔っぱらいの大人たちの要望に応えることで、
私の居場所が与えられた気がしてたんだと思う。
そうする方法しか、私は知らなかった。

その時、兄と弟はどこで何をしてたんだろ。記憶がない。
何で、私だけ裏方で動き回っていたんだろ。。。

切り盛りをして余裕のないお母さんを助けなきゃ。
私が手伝わないと、お母さんの機嫌が悪くなるんじゃないか。
田舎の女の子は、そうすることが当たり前で、
そうじゃない振る舞いをして大勢の前で両親の顔に泥を塗るようなことしては、私の居場所がなくなるんじゃないか。


いろんな事が心配で、怖くて、
その時の私の居場所を守るために、私なりに頑張ってたんだなぁ。

怖くて止められなかったから、
頑張らなかったら本当はどうなるのか、知らない。


今では、実家でそんな宴会をすることもなくなったみたいだけど、
宴会のときに頑張ってたあの頃の私は、
実家を出ても大人になってもずっと私の中にいたんだな。

もうそんなに頑張らなくてもいいのにね。

これまで怖くてパーティーやセレモニーを避けてたから、
「頑張るのをやめていいよって」
って、私の中にいるあの頃の私に言ってあげられなかった。


今回、あれよあれよといろんなパーティー、セレモニーに参加することになって、
とっても怖かったけど、勇気が必要だったけど、
あの頃の私にちゃんと「よく頑張ったね。ありがとう。もう頑張らなくてもいいよ。もう大丈夫だよ。」って言えた。


またひとつ、大切な私のかけらを見つけられたかな。
あの頃の私、ありがとう。

あの頃の私を味わい尽くす。