書物、映画、漫画、メディア等。

様々な表現媒体から情報を得る。

しかし

それらは本当に自分を幸せにしただろうか。

私は確信している。

世の中は不要なものだらけだ。

考えてみるがよい。

貴方が魅力的な人間ならば、

世の中の仕組みは意外にも単純な事に気付くであろう。

英語は合理的で最も単純な語学である。

ゆえに英語は尊敬しなければならない。

私の中高で英語教師だけ扱いが違うのは偶然だろうか。

というのも「英語ができる」ということで英語教師であるはずなのだが私には同級生の方がはるかに利巧に見えることは少なくなかった。

しかし英語ができるのは立派である。

もし自分の想像力や創造力が素晴らしいならば全部を見る必要があるであろうか。

しかし生きる上で一つの大義名分を標榜していなければ生きていかれない。

ゆえに歴史の伝統を引き継ぐのは当たり前である。してみれば知らなければ生きていかれない。

よしんばそれさえ放棄すれば、

精神破綻者になるのは必至である。

ただし豊富な才能は危険かもしれない。

日本は法治国家である。

無論法の善悪はさておき、

法は絶対である。

法律に関わる話は誰もが興味を持つ。

持たなければ日本人とは言えないであろう。

「司法、立法、行政(三権分立)」

法曹、天皇、大臣。

警察官、刑事。

彼らは優秀であることは言を俟たない。

殊更目に余るのは現代の若者だ。

性の堕落について解説しよう。

若い頃からtwitterやインターネット上で卑猥な動画を視聴した人間は不幸である。

本人は意識していない。

が他人からは丸分かりなのである。

罪よりもなぜ禁止かを深く考えた人はいるだろうか。

私個人の見解である。

動画を視聴した人は動画作成者により精神衛生上に被害を被るからである。

それを安易に自分の快楽と捉え、

彼氏におねだりでもするんだろうか。

彼女におねだりでもするんだろうか。

商売にしない限り誤れる行為である。

将来の貴方の隣にいる人は誰である。

新婦は、新郎は、満面の笑みだろうか。

性の奴隷ほど憐れな人間はいない。

しかしその動画を視聴しない限り何も始まらなかったんではなかろうか。

大人になれば罪もない。

全部自己責任である。

SMは解禁だ。

貴方はその動画のせいで人生を失った。

しかし

気付いていない。

酒や煙草も同様である。

絶対にやるべきではない。

未成年ならば絶対である。

やらずに済むならばやらない方が良いに決まっている。

精神安定薬や睡眠剤もやらない方が良いに決まっている。

私は絶対に否定はしていない。

実際に薬と共存していかなければ生きていかれない人はいるのだから。

犯罪的本能、ないものねだり、反社会的行動など、肯社会的な模範者から見たら丸分かりである。バレバレである。

犯罪者は常に罪を肯定したがる。ゆえに共感者に飢えている。悪に誘惑する者は少なくない。

絶対に善を肯定すべきだ。

法律を知り、法律を守り、法律を尊重する姿勢は日本国において立派ではないか。

お金について解説する。

お金は命より重い。

これを語る人は少ない。

だから

「一円に笑う者は一円に泣く」

のである。

脅す輩に決して屈してはならない。

恐怖を植え付けたり恐怖心を与えようとする者からは避けるべきである。

被害者にも加害者にもなるべきではない。

被害者ならば優位に立てる妄想してるならば、

誤謬も甚だしい。

加害者とは罪にさらに罪悪感も加わるゆえに最大の被害者と成る。

もし加害者がその罪に気付いていないならば反省しない限り一生罪に罪を重ねるであろう。

罪悪感は募りたとえ生き長らえたとしても廃人と化すだろう。

一円でも貸借すべきではない。

「たかが一円」

と侮った人間がどれだけ人生で苦しんでいるか。

この世に価値のないものなどない。

金のかからないものなどない。

絶対に嘘は駄目だ。

金品は責任と義務が伴う。

お金持ちを願うな。

その時点で足元を掬われる。

Facebookでも後戻りできないがゆえに露骨に悪を晒す輩がいるであろう。

幸せを求めよ。

相手の幸せを捉えれば貴方は幸せである。

軽蔑などは絶対にしてはならない。

アルバイトでも、パートでも、派遣社員でも、契約社員でも、それらの非正規雇用者達でも立派である。

働いていれば立派である。

正社員の正規雇用でも、フリーランスでも、資本家でも、

職業に、どんな立場であれ、絶対に貴賎はない。

「悪銭身につかず」

と肝に銘じ、少しのお金でさえ喜びを感じるような人間にならなければならない。

労働者も資本家も立派である。

貴方は今の社会を肯定さえしていれば立派なのである。

その社会肯定を脅かす人がいればそれは反社会主義者である。

もっとも反社会主義者も反社会主義者として容認する。


社会の上下について解説する。


年収なり職業なりネームバリューなり待遇なり

学歴なり色々あるだろうが、

結論から言えば、

職業に貴賎はない。

それだけでは不満もあるはずだから、

その上で心のあり方と仕組みを徹底的に解説する。

上司と部下のあり方は、上司は上で、部下は下だろう。

優越と劣等である。あくまで社会上の。

しかし優越感や劣等感というものは発生しない。部下が上司に憧れたりないものねだりをした時に劣等感が発生する。反対に上司が部下を軽蔑した時に優越感が発生する。しかし本来の優越感とは清々しいもので静かで安心がある。ゆえに世間一般の優越感や劣等感は表裏一体のコンプレックスと言える。(「告白」〜2〜)で書いたようにSとMも表裏一体であり、加害者と被害者も表裏一体である。


社会と心は完全に別個である。


ゆえに法律、社会、経済、政治、IT、メディア、スポーツ、宗教と心は密接不可分であるが、社会を客観視した上で学び、理解した上で暮らしていくことが大切である。


絶対に背いてはならない。

一社会肯定主義者として語る。

宗教もそれが貴方の心を正しい道に導くならば肯定する。