自分は15年の活動の中で完全にノンフィクションを応援してくれている方を「ファン」という言葉で括った事がないと思う。その言葉自体使った事がないと思う。

何かアクションを起こす度に自分に対するハードルを設定してたし、共に青写真を描いていた。きっと納得の行く結果が出せてないまま、応援してくれてる方々を「ファン」なんて言うのは調子がいいようでおこがましいというのがどこかあった。

終わる事が決まってから初めて「ファン」という言葉を自覚した。応援してくれていたみんながいたから、芸術として音楽として認めてくれていたから、完全にノンフィクションは存在していたのだと。
だから、自覚した自分は今「ファン」に改めて感謝を返したい。

数が多い少ないとかじゃない。完全にノンフィクションを好きでいてくれた人それぞれを本当に尊く思っている。それぞれに何通りも完全にノンフィクションを好きになる気持ちや理由が発生してくれていたと思うと胸が熱くなる。

完ノンの物販は昔からグッズよりか音源が正味一番好評だった。SNSもある種当てにならないもんだ。フォロワー数よりもCDの売り上げ実績枚数の方が遥かに何倍もある。スマホからは見えない。何千通りのそれぞれのCDを買ってくれた経緯やシチュエーション、気持ち、お店に行った、ネットで探した、その日の出来事がある。GIGに足を運んでくれた事もそう。顔なじみも、名前も知らない人もそう。俺は一人一人の想いと行動と時間がこの15年にあった事をちゃんと想像したい。

前衛的なアンダーグラウンドシーンにいて、邦楽ロックシーンに参入して、神出鬼没な活動を経て、芸術として一貫性はあってもファンの気持ちに寄り添うと安定感はないバンドだったとは思う。それも全ては応援があったから成立させて頂いてた。

ファンの日常に完全にノンフィクションがたまに現れて、こちらから何か影響を与えられたとして、それを求める気持ちと行動をこちらに与えて頂いた事実。俺は今一度想像している。なんて素晴らしい。


そんな事も素直に語りたくなる。伝えたいことは悔いのないよう伝えたい。人生に後悔は無用。


近寄りがたかったり寡黙なイメージもあったと思うし、意図的にそう思わせてたところもあったから。本当に感謝してます。ありがとう。


別所英和