信仰のはじまり ♰ | どんぐりと秘密の巣箱

どんぐりと秘密の巣箱

隠れているもので、あらわにならぬものはなく、
秘密にされているもので、知られず、
また現れないものはありません。
【ルカの福音書 8章17節】

2022年4月 受洗✟
プロテスタントのねこ好きクリスちゃんです。♡ ฅ(ΦωΦ)ฅ

 

 

 

 

 

今回の記事、熱い想いがあります、なので少々長くなります(笑)

悪魔悪霊に魂をガッツリ掴まれている方は、拒絶反応を示す内容かと思われますが・・・👻

 

 

主な内容は、私が「イエスさまへの信仰のキッカケ」となった話です。理解しやすいように

書いたつもりです。 今は何もわからなくてよいです、関心のある方のみお読みください。


 

 

 

 

 

● はじめに

 

あれは確か、2021年の2月頃だっただろうか、突然、信仰がガツンッと降りてきた。

そう、突然イエスさまを救い主として信じるようになり、クリスちゃんになったのです。

本当に『ガツン!と降りてきた』という表現がふさわしく、具体的な説明が難しいのです。

 

 

以前の私はと申しますと、過去の記事でも書いているのでご存知の方はご存知でしょうが

神社仏閣やパワースポットが大好き、スピリチュアルや占いも心霊もオカルトも大好き

そんな人間でした。 それがいきなりすべてを放棄し、180度精神が変わってしまい、

主のみを唯一の神として信仰するようになってしまったのです。

 

 

 

 

神社仏閣やスピリチュアルにハマっていた頃の私は、今思うに、客観的に振り返ってみると、

恋愛もうまくいかず、職場での人間関係も良くなく、金銭的経済的にもビンボーになる一方

精神状態もいつも満たされず、まったくご利益を受けたこともないにもかかわらず、神社や

お寺に何度も足を運び、すがる思いで手を合わせ、参拝する日々を過ごしていた。

ところが、クリスちゃんなった瞬間から、人生がすべて整い、心が満たされるようになった、

不思議なものである。 過去の自分、あれが飢え渇きの状態なのだとはじめて実感した。

 

 

クリスちゃんになってから約1年以上が経過しましたが、現在の状況はと言いますと・・・

すべてにおいて調子が良いです。 教会へは通わずに1人で神との個人的な関係を築いて

信仰心も依然として強い?ままです。什一献金もしています。聖書絶対主義者です。

洗礼は受けておらず、数ヶ月前から教会へ通いはじめました、プロテスタント聖霊派です。

  ↑

2022年4月24日 洗礼を受けました ✝

 

 

 

 

 

● 主への信仰とスピリチュアル信仰との相反関係

 

もともと私のブログは陰謀論の記事が中心であり、時々プライベートのことを書いている。

当然ながら最近では、クリスちゃんの記事を書いたりすることもあるのですが、ここである

不思議な現象が起こることに気がついた。 陰謀論の記事を書いた場合、フォロワーさんが

30人40人~と増えることが多く、プライベートの記事を書いたときは、特に増減はない。

しかし、クリスちゃん記事を書いたときは・・・ 必ず!10人20人と波が引くが如く(笑)

フォロワーさんが減っていきます! わざわざ解除することもないじゃないですか?

これはおそらく、おそらくですが・・・ イエスの御名に拒絶反応を示しているのだと感じた。

 

 

私のブログの読者にはスピが好きな人、占いが好きな人、ヨガが好きな人などが多いのは

知っていますが、ここまであからさまな反応が現れるとは驚きでした。この現象の仕組み

それは、悪魔や悪霊は『イエスの名前』を聞いただけで、みんな恐れて逃げ出すからです。

それだけのことです。 

 

 

誰が何を信じようが決して否定はしません。信仰は自由です。 神社仏閣も否定しません。

ただし、スピリチュアルだけはやめた方がよいと言いたい、ニューエイジは悪魔崇拝だから。

心身ともにボロボロになる可能性が大です! クンダリーニヨガ占いもできれば・・・

 

 

主の素晴らしさをどんなに伝えようとも、悪魔や悪霊にガッツリ掴まれている者たちの心には

なかなか言葉が届かないのだと、ここに主への信仰とスピ信仰との相反関係を実感した。

 

 

 

 

聖書にはこう書かれている。

 

あなたのうちに自分の息子、娘に火の中を通らせる者があってはならない。占いをする者、

卜者、まじない師、呪術者、
呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死人に伺いを立てる者があってはならない。
これらのことを行う者はみな、主が忌みきらわれるからである。これらの忌みきらうべき

ことのために、あなたの神、主は、あなたの前から、彼らを追い払われる。

 

【申命記18章10-12節】

 

 

 

 

 

 

● 信仰へのキッカケ

 

そもそも、なぜ自分がイエスさまを信じるようになったのか? ずっと説明できないでいた。

だけど、それではダメなんですよね!今後、私と同じように救われる方を増やしていきたいし

キッカケを与えるため、どのような話をすればよいのかを、自分自身がしっかりと認識して

いなければならない。 そこで、ここ数週間、過去を思い出しながら、自分はどの理解で?

どのタイミングで信じるようになったのか? そのことを整理しながら見つめなおしていた。

そして結果は・・・ 実に単純明快だった。(笑)

 

 

ここからはとても重要です。 そしてとてもシンプルにお話する。

 

キッカケは、ロミオロドリゲスJr (以下:ロミオさんという)の話をYOUTUBEで聞いたこと。

そのとき、①『携挙』という救いがあることを知った。 ②悪魔に勝てることを知った。

この2つです。 携挙とは、もうすぐこの地上は7年間の大患難時代という人類がいままで

経験したことのないような地獄のような苦しい時期を迎えることになるのだが、その時代を

回避するために、地上の子供とクリスちゃんは肉体を持ったまま一時的に天国へ挙げられる

というもの。 聖句か所は、

 

主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から

下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、

生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で

主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

 

テサロニケ人への手紙第一4章16-17節

 

 

 

そんなものがあるなら、ダマされてでも信じた方がいいよね? というそんな感じだった。

 

 

注)上記は、わたしがクリスチャンになる前に教わった「患難前携挙説」の立場であり、

  これは間違った教えです。なぜなら収穫まで麦と毒麦の刈り取りは行われないと聖書に

  書いてあるからです。(マタイ13:30)収穫(世の終わり)は大患難の後に起こるのです。

                                  2023.9.9

 

 

 

 

また、悪魔に勝てるというのは、人間も悪魔も所詮は神の創造物であるから、神の許可の

範囲内でしか、悪魔は悪さをできないのだ。ただし、人間が許可を与えてしまうと話は

変わってくる、その許可とは「悪魔と関係をもつこと」である。 

それがスピリチュアルや偶像崇拝、占い、ヨガ(ヒンズー教の霊的作法)などである。

 

 

ところが、クリスちゃんに対しては神から特権が与えられ、またクリスちゃんに対して

悪魔は一切危害を加えることができなくなる、そのようなことを神が許さないからだ。

 

 

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、

神の子どもとされる特権をお与えになった。

 

【ヨハネの福音書1章12節】

 

 

 

これはもう信じるしかないでしょう! そこで、ここで問題が生じる

 

「信じたい」『信じる』は違うということだ!

 

正直、この時点では、「どうしてみんな普通の人間(イエスさま)を神として信じるの?」

「なんで、イエスさまは十字架にはりつけにされて殺されたの??」「意味わかんない!」

その程度であった。そこで、私はロミオさんに、この疑問を質問して教えてもらったのだ。

 

 

 

 

 

 

● イエスの血の贖い、イエスは人であり神である。

 

ここからは私が、神に立ち返り、イエスを救い主であると信じた話である。

このことを理解するためにはまず、創世記3章の理解が非常に重要となる。

かみ砕いて説明する。

 

 

創造主である神は、楽園の土から初めの人間、アダムを造り、そこからイヴを造った

神はアダムとイヴに言った、『楽園のどの木の実を食べてもいいが、いのちの木の実と

善悪の知恵の木の実だけは食べちゃダメだよ!』と。 すると、ヘビ(悪魔)はイブに

木の実を食べるように誘惑をする、イブは誘惑に負け、木の実を食べてしまった。

さらに、イヴはアダムに木の実を食べるように勧め、アダムも食べてしまったのだ。

 

 

 

 

これは神のルールを破った重罪であり、神に対する裏切り行為である。

当然、神はブチ切れて悪魔とアダムとイヴを楽園から追放した。

ヘビは一生地を這い、男は労働の苦しみ、女には生みの苦しみが与えられた。

人間は永遠の命を失い、罪の代償として死が与えられた。善悪の知恵の木の実を食べた人間は

どうなった? 各々が善悪を判断し、まさに神を演じているだろう? これを原罪という。

 

 

 

 

罪人と罪人が結ばれてできた子は罪人、さらにその子も、またさらにその子も罪人・・・

そうやって始祖からずーっと、罪は続き、私も、この記事を読んでいるあなたも罪人である。

罪人は死ねば黄泉の国へ行き、そして地獄へ落とされることになる、これが人間の定めだった。

 

こんなのってあんまりでしょう?(泣) それでも父である神は、我が子である人間のことを

とても愛しておられたので、罪を犯したとはいえ、なんとかしてあげたい!そう思っていた。

 

 

そのためには『贖い』というものが必要となる。別の言い方をすれば罪を肩代わりすること、

借金を代わりに返済して肩代わりしてあげるような意味と考えればいい。

罪を贖うためには、罪人の犠牲ではダメである、例えば、死刑囚が死刑囚の代わりに死刑に

なっても、それは罪の贖いにはならないでしょう? だから、『罪のない者』の犠牲が必要

となってくる。 まったく罪のない者って? それはもう神しかいないのである。

 

 

 

 

そこで神は決断した! 自ら(分身)を人間として地上へ、それがイエスさまである。

 

人間でなければ死ぬことはできず、だからイエスさまは人間であり、神でもあるのです。

そして、イエスさまは私たちの罪のために十字架の上で死なれ(血の贖い)、神と人間

との新しい契約(新約)を結ばれた。そしてイエスさまは墓に葬られ、3日後に蘇られた

このとき、イエスさまと共に今まで神を信じてきた人達も一緒に天国へ昇天されました。

この新しい契約により、私たちはイエスさまを信じるだけで、死後、楽園へ行くことができ

永遠の命が与えられることになったのです。 

 

 

私の理解はこんな感じです。 

 

以上のことを知って・・・  号泣しました。 (´;ω;`)ブワッ 

 

 

 

 

信じるだけで楽園って、すごくないですか? 業(行い)による救いはありません。

どんなに良い行いをしても、私たちには罪の性質はずっと残っています、だからこそ

信じることにより、はじめて罪は赦されるのです。 

 

いかがだったでしょうか?

以上が、私が信仰することになったキッカケのお話であり、この後にガツン!ときました。

 

 

神は、人間を創造する際、すべての人間が神を崇拝するように造れたはずです。

なのに、それをしなかった、ロボットは愛せないからです、そして我々人間には

『自由意志』が与えられました。 信じるも信じないもすべては自由意志なのです。

 

 

サタンを父に迎えるのも自由意志、

 

天の父、イエスさま、聖霊を信じるも自由意志なのです。

 

この記事を読んで、心に響くものや、信仰が芽生えれば幸いです。

1人でも多くの方が携挙され、一緒に楽園に行ける兄弟姉妹が増えればと願っています。

 

 

あーめん ♰

 

 

 

 

 

 

● クリスニャンからのメッセージ

 

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。

それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、

永遠のいのちを持つためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、

御子によって世が救われるためである。

 

【ヨハネの福音書3章16節-17節】

 

にゃーめん ♰

 

 

 

 

 

 

 

 

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