昨日で28年が・・・ | 脳梗塞と民話語り

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よう来なすったなあ~、ゆっくりしてきなっせ~





月・火曜日はブログ定休日だよ、

今朝起きたら

  あたり一面銀世界になって(うっすらと雪が)いました

 

今週は月曜日から

  散歩に行っていないので今日こそはと思っていたら雪ではだめですね

 

昨日の雨が

  寒いので夜には雪になったのかも知れませんね

 

寒いと言えば

  28年前の2月28日も寒い日でした

 

その当時は

  まだ五体満足でバリバリ仕事をしていて

 

夕方になり

  急に体の力が抜けてきて、あれよあれよと言う間に倒れてしまいました

 

救急車で脳外科に搬送され

  気が付いた時には、救急治療室・・そこに3.4日ほどいて病室に移動

 

体の半分が

  自由を奪われて、動くことも寝返りする事も出来ない私がいました

 

確か倒れて一週間後くらいかな

  リハビリですよと看護師さんが来てベットのままリハ室に行きました

 

そこで違うベットみたいなところに移されて

  膝と腰にベルトをして固定され、ベットが45度位上がります

 

すると足に自分の体重がかかります

  足に負荷をかけるわけでございます

 

それを何度も何度も繰り返す

  それが終わると、高圧酸素療法の為ドラム缶のような所にはいります

 

それらを一か月も続けると

  自分の力で建てるようになります。

 

立てるようになっても

  歩行すると言うには中々いきませんでした

 

第一ベットから

  車いすに乗り移る作業が出来ないんですね

 

車いすに乗ろうとして

   何度もベットから落ちてそのたびに看護師さんに叱られました

 

脳外科は3か月ほどで

  リハ専門の病院に転院することになり車いすに乗せられて県北の病院に転院しました

 

家からは60キロも離れた病院

  母ちゃんは仕事ですから来ないですね・・・島流しにあった心境でしたね

 

辛いリハビリの毎日

  今思い出しても涙が出てくるような日が続きました

 

それでも50歳の私は

  仕事がしたくてしたくて、早く仕事に復帰したいと思えども

 

立つことさえもままならぬ体に

  精神的に追い詰められていきましたね

 

しまいには死ぬことばかりを考えてしまう日々

  投げやりな気持ちの私に体格のいい看護師さんが「私のおっぱい触らせてあげる」って

 

私が沈んでいるのを見て

  元気づけようと冗談を言ってきたのですね

 

「触ってもいいけど、麻痺している右手でなければ駄目ですよ」って

   全く動かない右手と言う条件を付けて来たんですね

 

嬉しかったですね

  その時のその言葉がなければ、今の私は無いと思います

 

今でも右手は動かず

  そのボインボインの看護師さんのおっぱいは触る事は出来ませんが

 

冗談を言いながら

  落ち込んだ私の気持ちをポジティブな気持ちに代えてくれたことに感謝しています

 

結局その病院には一年近くお世話になり

  四点杖をついてトイレまで歩けるようになり退院してきました

 

今のように歩けるようになるには3年

  今のように喋れるようになるまでには6.7年と言う年月がかかってしまいました

 

看護師さんのおかげで

  今では話し方を教える先生をしたり、車で全国を旅行するまで元気になれました

 

とは言っても

  右手が動かない右足も引きずると言う後遺症はありますが

 

毎日を楽しく過ごせてます

  あの時の「おっぱい」があったからこそだと感謝しています

 

今でも触りたい・・・・右手で!(セクハラになるかな?・・・ごめんね看護師さん)