思いでの東京五輪 | 脳梗塞と民話語り

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月・火曜日はブログ定休日だよ、

今更今度決まった東京オリンピックについて書いたって
  面白くもなんともないわとお叱りを受けること間違いなしですね

ですから、今回のオリンピックに関してではなく
  私の心の中にある1964年に開催された東京オリンピック

つまり、歳を取ると過去の思い出に浸りたい訳なんですよ
  
  まっ!少しの間、時間のある人はお付き合い下さいね

私は1946年生まれのお爺ちゃんですが
  こんな年寄りにだって若い時代はあったのですよ

それは私が18歳・・高校三年生
  1964年の10月10日に東京オリンピックが開かれたのです

太平洋戦争で
  長崎と広島にピカドン(原子爆弾)を落とされて終戦となりました

敗戦から
  たったの19年にして東京タワーは建ってるし、東海道新幹線は開通するし

    はたまた東京オリンピックは開けるだけの力は付けてくるしで

我々の生活も00景気の波に乗り
  良くなる一方の時代でしたねぇ

そう言う中で
  私もオリンピックの聖火リレーのランナーに選ばれまして走ったり

バレーボール決勝戦の
  日本とソ連の試合に招待されて東京まで行ったことが昨日のように覚えています

何度も何度もジュースになって
  最後に日本が2点を取り決めたんですね

はらはらドキドキしたことを覚えています

昭和39年の時代は
  今からでは想像も出来ない事ばかりでした

マイカーなんてものは一部の特権階級の人で
  一般国民は持てない時代でした

ですから
  バスを使って宇都宮駅まで行くのですが

舗装道路なんて物は無く
  道路という道路は砂利道ですから時間が掛かりますね

駅についても
  各駅停車の電車で行くわけですから

 これまた時間が掛かります
   なにしろ、今で云うSLが大手を振って走っていた時代ですからね

ローカル線は皆蒸気機関車でしたしょ
  そう言う時代に、オリンピックを見に行ったのは私の村では私だけですね

私の同級生が中学を出ると
  「金の卵」と云われて東京へ集団就職していきました

あれから40年!!

  いやいや! あれから50年

    当時から見れば夢の国にいるようですよ

      幸せに感じないと罰が当たりますね