原野で出会った | 脳梗塞と民話語り

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よう来なすったなあ~、ゆっくりしてきなっせ~





月・火曜日はブログ定休日だよ、

今年の5月に仙台から
   福島にかけて行ったとき、見てきたさまを書いたんです

なんとかこれを物語にできないものかと
  いま無い頭で知恵を絞っています

  
東日本大震災から二年経った五月のある日
   お天気も良いし、暑くもなく、ドライブには最高の日和でした
   東北道を走り、仙台南道路を通って山元インターで降りて
   国道六号線を一路南にと南下して行きました、
   六号線より山手の方は津波の影響はほとんど見られなかった
   そこで海側に出て見ようと、六号線から外れてい行きました。
   程なくして、荒涼とした光景が目の前に現れました。
   見渡す限りの荒れ果てた原野でした、それこそ地平線が見えると錯覚するようです、
   家も立木も流されたんでしょうね、
   かろうじて、残っているといえば所々に家の土台だけが、
   人が住んでいた証がそこにありました。
   私たちが進む先には、道という道はなく
   津波の凄さを見るように、アスファルトは剥がされて
   復興のための車が通るから、道となっている有様だと感じました。
   ここは、田んぼがあったのだと思わせるところもありました。
   でも、津波で砂が運ばれてきたのか、
   潮が引く土手のところに山になってありました。
   車を進めていくと、ちょっと小高いところには
   難を逃れた家がポツンと1軒、また一軒とあり
   無常を感じずにはいられませんでした。
   小高い海の波がすぐ下のところで寄せては返しています、
   車を止め体を伸ばそうと、車から降りた
   そしたら、柴犬が私のそばに寄ってきて、
   ちょこんとお座りをして、じっと私の顔を見ているんですね。
   時々顔を横に曲げながら「クゥ~ン クゥ~ン」
   何かをほしがっているような仕草で舌で唇を舐めながら
   しっぽを盛んに左右に振り「クゥ~ン クゥ~ン」
   「あっそうか、お腹がすいているのか。」そう思い、
   車から、煎餅を取り出しあげたら、
   煎餅の方をちょっと向いて、食べないのです。
   「あらっどうしたのかしら、」と思い、
   今度は朝ご飯にと思ってコンビニで買い求めたおにぎりを
   二つに割ってあげました。するとどうでしょう、
   その柴犬は半分のおにぎりを食べないで、
   くわえたまま100メートルほど離れた場所に持って行ったのです。
   間を置かず、また戻ってきて、
   残りの半分をくわえて先ほどの場所にと行きました。   
柴犬がおにぎりをくわえていった先を私が見て居ると
   背伸びをするような仕草で、その柴犬が私を見て居たかと思うと
   「ク~ン ク~ン」鼻を鳴らすように走ってきてお座りします。
   今度はおにぎりを割らずに上げたら、
   また食べずに、くわえて草むらの中に消えました。
   もうおにぎりはありません、先ほどの食べなかった煎餅があるだけです。
   柴犬がまた、おねだりするから「もう上げる物は、無いよ」って云ったら
   先ほどのおせんべいを、今度は自分のお腹に入れていた。
   「そうか、そうか、おまえは子供にはおにぎりを食べさせ
     自分が食べるのは、何でも良いんだね」私はそう言って
   ありったけの煎餅を置いて、子犬が居るであろう所に行ってみた。
   そしたら、決して太っているとは云えない、子犬が4匹いました。
   自分は食べなくても、子供には何とか食べさせようとする犬。
   飼い主も津波で流されたのか、多分今まで飼われていたその辺りで、
   子育てをしているのだろうなと思いました。
私が車に乗り込むと、ドアの横でお座りしてみています。
   静かに車を走らせると、柴犬はくるっと向きを私の方に変えて座ってます。
   まるで、「ご馳走様、気をつけて行ってね」っと云っているようである。
   そんなことをしている内に、
   立ち入り禁止区域の浪江町の道標の所まで来てしまいました。
   これより先には進めません、原発事故で立ち入りが出来ないのです。
   やむを得ず、ハンドルを六号線に向けました。
   お昼を少々回っていましたので、南相馬市の道の駅で一休みした
   お昼を済ませ、ガソリンも満タンにしてから、
   一路車は飯館村に向かって走っていくと、
   田んぼや畑は荒れ放題になっているところに着きました。
   人家も所々に見えていますが、人の気配は全くしません。
   良く良く見てみると、スタンドにはロープが張ってあります。
   人家の門道にもロープが張ってあります。
   人気の無くなった村、ゴーストタウンって感じで異様な気分です。
   飯舘村の中心部に来ますと、作業服に作業マスクを付けた人が
   道路脇の草を刈っています、恐らく除線作業をしているんだなぁと思いました。
   目に見えない放射能は怖い存在なんですね。
   一度放射能にあたっても、直ぐにその影響が出るというのでは無いだけに
   その恐怖に耐えず脅かされ続けなければならないというのが辛いですね。
   田んぼも畑も、あれほど荒れていたのでは
   人が戻ることが出来たとしても、農地が回復するまでには、
   気の遠くなるような時間が掛かるだろうなと思いながら帰って来ました。

 柴犬の子育ての物語が作れないものかと

   今真剣に考えています


 良い考えがありましたら

   ぜひご指南を・・・・・・