民話をするようになってから
話す言葉の難しさを痛感しています
語りかけるように話すんだと云う事は分かっていても
いざそれが覚えている民話を語り出すと暗記していることを音声化しているだけ
だから最初は難しくってとうてい俺には出来まいと思った
出来なくても良いんだ、俺はただ言葉のリハビリでやっているだけなんだと
それがどうでしょう!
もう6年も民話を語っていることになっちゃいました
・・・・・――・・・・
あるところでアオダイショウが腹痛起こしてナ
医者様呼んでくるべや~って事になってナ
めんめず(ミミズ)がのったらすったら呼びに行っても間に合わね
じゃ~ムカデに頼むべや~って事になってナ
ムカデに医者様呼ばってきてくんね~かな~って頼んだと
それから暫く経って
腹痛ぇ~の我慢しながら待っていても中々来やしね~
そんなもんで“めんめず”がすぐ見に行ったと
そしたらムカデの野郎・・・・
まだワラジ(靴)履き終わんねかったとサ
・・・・・――・・・・・・
こんな短な語りでも文字に書いた文章を読んでも
語り手の 『語り方』『表情』『間』『訛り』等伝わらないものがいっぱいありまして
だから語り手は面白いんです
自分が生きてきた人生だってその語りの中に染みこませて語ることが出来ちゃうんですね
言葉のリハビリのつもりで始めた民話が
いつの間にか自分が民話の中に入っちゃつて
その面白さの虜になっています