四十にして惑わず、五十にして天命を知ると孔子は言われたが、惑うことばかりだとは以前に書いた。

 

信長は人生五十年と謡い舞い、美濃源氏土岐一族の光秀も討たれたのは五十四とされている。まあ私は天海だと思って入るが。

 

四十代半ばの私は競輪選手としてはひょっとしたらまとめの時期に入っているのかもしれない。もしそうなのだとしたら、もう少し調子が戻ってからだとか、環境が整ってからにしようと思ってやっていなかった練習、取り組みはすべてやってみてしまおうと考えた。

 

それは競輪においてだけではなく、人生についても言えることで、やりたい事はやり、行きたい所へは行く、会っておきたい人に会うというように経験を重ね尽くしたいということだ。

 

そうするには時間もお金も必要なわけでやはり仕事に真摯に向き合うことになる。

 

今日は何を書きたいのかまとめづらくなってきたが、要するに一日一日を慈しみ大事にしっかりと生きていきたい思いが強くなってきたのは、多少年齢を重ねてきた感傷があるのかもしれない。