緩和ケア病棟|いまここ|には、ロの字型の廊下が囲む、四方ガラス張りの中庭がある。小さな川が流れ、木々に鳥や虫たちが集う。カエルも窓ガラスに貼りつき、病棟を眺めている。僕たちが庭の生き物を眺めているのか、はたまたその逆か。

 

ある男性患者さんが庭の水たまりに落ちる水滴に見入っていた。今まで、こんな長い時間じっと、雨の滴を眺めたことなんてなかったよと、自分の変化を不思議そうに語ってくれた。

 

死を意識した時に、目に映る自然の景色が全く変わったと語る患者さんがいる。むろん風景は変わっていない。心のレンズのゴミが払われ、その方なりのありのままの景色が捉えられただけだ。今まで閉じていた心の眼が見開かれたのだ。

 

そんな劇的な変容に立ち会うことは、セミの幼虫が羽化する瞬間を目にすることにも似ている。 空飛びまわるセミが、残されたいのちの時間や未来を気にして飛んでいる様には思えない。自ずから然る世界に住まう彼らは、ただ今を生きている。ぼくらが先達から教わることは、沢山ある。

 

秋の風に運ばれてきたセミの羽一枚を朝陽にかざしてみる。この羽は、やがて土に還るが、空駆けた歓びとあの声はこの世界に記憶される。