またね。


『サヨウナラ』よりも重苦しくて、ニガくて、セツナイ言葉だよな。


一年前の夏に出会い、一年後の夏に別れを経験する。
刹那的な一年だったなあ。


またね。


この言葉を信用しようとは思わない。キライだからね。
でもその言葉の持ち主を信用することはできるかもしれない。


結局、どんなモノもオカネには劣るけどさ。


でも今回は何かが違う気がする。
やっぱり、夏も秋も冬も春も、空の色は濁っていると思うんだ。
もやもやしていて掴みどころのない、でも手の届きそうな。


だけど、私は欲張りすぎて忍耐力がなくて、濁った空を澄んだ空に変えることは出来ないんだ。だからやっぱり手の届かない位置に落ち着いている。


時は無常だから、若い頃に永遠なんて無いことを身に沁みさせておかなければね。


でもやっぱり、またね。はキライだよ。そんな言葉口にするならいっそサヨウナラしてしまったほうがラクなんだよ。


貪欲な透明感のあるヒトになりたい、なれない。


またね。






昨日は16歳に成って、初めて頑張った日かもしれない。
キライなことに対して実に啓発的だった。
最近ビタミン剤摂取を忘れていたなあ。みっともないよ。あぁ。





我々は生き物だからね、性交渉というものは少なからず重要視されるんじゃないかなあと。


好きな人とするセックスは気持ち良いとか言うけれども、そんなのただの美化された決まり文句ってヤツだと思うんだ。


肝心なのは、個人の性器がいかにその性別を象っているかだと思うんだ。
要するに、その性器が相手の欲求をフルに満たすことができる機能を兼ね備えているか。


だから欲望満たしたり、淋しさを埋め合わせたりする為にセックスを利用するのは、なかなかむづかしいのではないかと。


架空生物に変身できたら、そんなむづかしい壁にブチ当たらないで済むよなあ。