喜劇 ミスター天皇、というコメディ脚本が戦後まもなく出版されていた | 福岡の弁護士|菅藤浩三のブログ

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戦後占領下の日本の雑誌を調べていて虚を突かれる思いがしたのは、映像メディアと異なり、人間宣言をした天皇の人となりや天皇制の存廃をめぐって、おどろくほど奔放に、自由な記事があふれていたことである。そこから、庶民が天皇に対して抱いていた、様々な本音がよみとれる。

 ひとつには、労働組合運動が盛んになって、左翼系の言論が大きな支持を得いていたせいかもしれない。がそういう党派性を超えて、もっと大衆的でユーモアにあふれていたのである、昭和天皇について語ること自体が新鮮な娯楽と化していた遊び心がある。

 一番驚いたのは、昭和24年10月発行の映画作家1巻4号(制作社発刊)という雑誌に「喜劇ミスター天皇」というユニークな脚本が掲載された。一言で言うなら、ローマの休日の天皇陛下バージョンであるが、そのシナリオが今ではとても日本のどのメディアにも掲載されるとは考えられないものなので、非常に印象に残った、長文ながらあらすじを紹介したい(戦後ゼロ年東京ブラックホール、もとNHKディレクター貴志謙介著の記載から抜粋)。
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  下々の暮らしの現実を全く知らない昭和天皇が、ふとしたきっかけで皇居の裏門から灰燼と化した東京の街へ迷い込み、軍国主義者から酷い目に遭わされながらも、戦時体制がいかに理不尽だったかを学んでいく、波乱万丈コメディ。

 敗戦直前の皇居では、海軍と陸軍の将軍たちお偉いさんが、果て無く主導権争いを繰り広げていた。ほとほと嫌気がさしたミスター天皇は、護衛の一等兵の上着を借りて宮中をさ迷ううちに皇居の外に出てしまった。

 さてどうやって皇居に入るのか、一人で外に出たことのない天皇は、宮城を眺めて思案していると、通りがかった巡査に怒られる。「おいこら、ぶらぶら歩いちゃいかん!」怒鳴られた天皇はビックリして目をぱちくり。巡査は「オイ、皇居遥拝をせんか!」とたたみかける。

  天皇は慌てて逃げ出そうとするが、怪しい奴とばかり捕まえられ、特高警察の尋問を受ける。「宮城で遥拝しない奴はアカか自由主義者に違いない、豚箱に入ってよく反省しろ」、あろうことか天皇は留置場に入れられてしまった。看守の虐待もあり、さすがに温厚な天皇も「朕は天皇なるぞ!」と絶叫、だがかえってアタマがおかしい奴と思われ、罵倒と嘲笑を浴びるばかりであった。

  天皇は運よく留置場から逃げ出すが、戦時下の荒廃した軍都東京、カネも食い物もなく、浮浪児か戦災者を思わせる迷子の行動が続く。軍都東京では、軍国主義一色で軍人や官僚が威張り、若い男子を片っ端から戦地へ送り込み、一言でも文句を言えば非国民扱い、そんなおそろしく息苦しい戦時下の暮らしを天皇自ら体験していく。

  履いていた靴の鉄鋲も、国家総動員法を盾に、軍に強制的に巻き上げられてしまった。大冒険を経て、最後は親切な下町娘に助けられ、無事に皇居にたどりついた天皇。民の苦しみを知り、ついに自ら降伏を受け入れ戦争を終わらせる決意を固める。そして、敗戦後、天皇はおべんちゃらばかりの側近に囲まれる暮らしを厭い、ランニングシャツ1枚で一目散に皇居から下町娘と暮らそうと街に向かって逃げ去ったとさ。

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