笑い泣き笑い泣き笑い泣きこの頃のわたしの思考整理記事ですウインク


ここ最近

お金や仕事の意識を探るにつれて

現実化と世界の構図、自分の視点(意識)を

見直すことになり



結果❣️

「願う、望む時」に


子供の頃から家族へ対して抱いていた意識

そのまま、世界=自分へ対する意識となって


すべてに対して、反映していた。

自分の中でわだかまっていた(と感じる)ことすら❣️綺麗に反映していた👍

(どう扱っていいのかわからなかった

 決めつけていた、ずっとそこで頓挫していた)


ことに‼︎ 気付いたのでしたキョロキョロ







そう、ずーーーっと

そこで「ふーむ…🤔」と


わたしはずっとずっと

きっと暇を作っては考えていた。

いや、毎瞬結構、見た目は別のことをしていても

頭の中ではそこについて思い巡らせて過ごしていた。



(そして今に至るw)




グリーンハーツグリーンハーツグリーンハーツ




生まれてすぐに

わたしの周りに広がっていたのは

きっと、家族という宇宙だった。



わたしを、まず1番に叶えてくれた。

わたしのすべてを。




けれどある時、


「家族との間では、叶わないのかな?

 家族は、一部の願いには

 わたしと同じ様には、望んでいない。

 わたしの願いは、家族を通しては

 全部は叶わないのかな


と思ってしまった。






でも、そんなこと関係なく

家族は大好きで、家族はわたしを愛してくれていた。本当に大切に育んでくれていた。

どう在ろうと、幸せでもあった。



けれど、この目の前の噛み合わない望みに思える部分はどうしようか?


と、なった。



家族は、ある程度までは叶えてくれる様に思えた。








「家族には無理かな(とわたしが感じる)」ことを

家族に望んで軋みたいわけじゃなかった。


わたしにも、誰かにも、

無理なことや望み、意志、才能の違い、、、、

人それぞれ、純粋にある。

家族という枠など関係ないことでもある。





だから、わたしが望むことで

わたしが

「家族との間では許容外」と思った内容


「望まない、嫌なことを何とかして」

「何か、どうにかして」

叶えなきゃと思った。


なぜなら、それまで

家族の中で生きていたわたしは

「好きなことをして、ただ満たされて」生きていたから。


でも

もしそのままでは叶わないのなら。


そのままでは、ダメなようなら。





家族との間の世界で

それを

成立させようとするのなら。




そう思ったのなら




今度は逆に

家族の許容内だけれどわたしの望まない

「嫌なことをすることで」

「誰かが〇〇ならいいと言うことをする事で」

そういう方法で

叶えるしかないのかと思った。



そして、案は、やっぱり1番身近なところから

やってきた。そしてまだ幼いし。






大変そうに思えたけれど


でも、わたしが望むのならば

自分がどこまで出来るのかを試すしかないと。

なんとかギリギリを頑張れば、叶うのではと。

ある程度…というか、やっぱりそれを応援してくれる家族に支えて貰いながら頑張れば、いけるのかな。それでやるしかないな、と。



そういう判断と、方向性で進むことにした。





その内

そう自分に言い聞かせて頑張る生き方自体が

「お前らが無理と言うから、そう言うから‼️」

も、心のどこかで沸々と…

憎らしく苦しく感じる様になってきた。




自分で判断して選んだ事だったのだけれどね。

それすら家族はサポートしてくれていて

家族が大好きだったけど

そことは全く関係なく憎らしくなっていた。


いや、大好きだからこそ、かもしれない。



わたしが嫌なことをするのを

「わたしを大切と言って育んでくれた人に」

応援されたと感じてしまったら

物凄くムカついて、悲しかった。

わたしを大切に思うがゆえであっても。

でもだからこそ、罪悪感が溜まってゆく。





で、さらに‼️1番肝心だったのは。



もしも。

わたしが嫌なことをして最悪な気分で

家族も応援してくれながら

その果てに望んだことを叶えてしまったら


最後、わたしにとっては実は

「家族が無理だったから、やるしかなかった」

「本当はこんなの嫌なのに。わたしが望んだとしても、本当は嫌なのに、なんで家族に喜ばれなきゃいけないの⁉️最悪‼️」という行為になってしまう。。。




そういう構図が、成り立ちそうになった。

わたしの頭はそう考えていた。



わたしはずっと、それが嫌だった。



本当は、事実としては


わたしにとって家族は

いつだって育んでくれて与えてくれて

好きなことも嫌なこともどんな形であれ

愛してくれて、大きな恵みをもたらす存在で

いつもそうなのに✴︎✴︎✴︎



事実は「与えられていることばかり。いつもありがとう」なのに。



苦しいのと同時に、いつもそう思っていた。

納得のいく=心地よい「答え」が

いつもずっと、欲しかった。

だから考えていた。




✴︎



わたしが

「それ以上」を望んでしまった時に。

家族にはどうやら難しいと思える内容の時に。



幼いわたしには




それでも

家族に無理を求めるのではなくて

そのままで



互いに心地よく

さらに❣️わたしの満足のゆく

「最高の望みの叶え方」が

わからなかった。



好きに生きてたら

望んでいない社会参加wが

家族にまでお勧めされてガーン(学校とかwもちろん自分で選択して通ったけれども)トライして嫌で困ったり。何かちょっと欲しい時とかが、無理といわれてしまった時に。





家族(世界)に、目に見えて直に望む以外に

わたしはまだ知らなかったのだ。

わからなかった。





ルンルンと「好き❤️」を

望んでいたはずなのに

いつの間にか「世界がわたしに要求してくる嫌を無くすには、どうしたら?」と望む様になった。




何とか、気持ちよく過ごすことを望んだ時に



身近に提示されたのは



勉強だとか、何か社会的に「意義」のあると皆が思っている様なこととか(わたしの興味は引かないw)、、、





だからわたしは

好きなだけじゃ、叶わないのなら。

無理と言われてしまうのなら。


好き以外も視野に入れて。


その「わかる範囲の中で」

「嫌だけど何とか出来ること」をすれば

自分の望みが、自分の知る世界で叶う条件が整うんじゃないか?


(無意識に、家族との世界で叶えるには、という意識。「今知っている世界がすべてという感覚」で





となった。

可能な限り、嫌でも出来ることを

なんとか、探して。




当時のわたしには、その時思いつく

最上の判断をしていた。

わたしなりに、ずーっと、手探りしていた。




勉強や勉強や勉強や🤣…

そうしてそのうち塾Tとも出会った。




日々幸せで、楽しくもあったんだ。


でも、本音・望みを抑えるほどに
周りにすべてに嘘をついて
心の中に毒や澱が深く深く溜まって
やっぱり世界を恨みだす。

だって、本当の望みを諦めたくないからこそ
選んだ手段で努力していたのだから。
(それすら出来ないほど苦しいけど)
嘘ついて、笑顔を作って
めんどくさいことを躱したいから
周りの望む良い子のフリをして。



流れ星


限界が来て!

浪人の乙女心爆発事件で
真の「好き」への道のりが始まった。



そこからは段々と

本当に望む様に、動けていった。

そしてその方が、本当に純粋に家族に「ありがとう」と、心置きなく感じられる瞬間が増えていった。




乙女心爆発事件で、実は最初に

一番の答えは手にしていたと今は思う。

「素直に生きること」と。




とはいえ。

やっぱりまだわたしは

ここに辿り着くまで


幼い頃、家族(世界)との間に閃いた発想

意識、行動の取り方…

▶︎(在り方)をしていた。



これまで、

勉強も、仕事も、

お金をビジネスして稼ぐことも


全部わたしにとって


こうすればいいかな?


▶︎好きなだけじゃ叶わないなら

ある程度嫌なこともその生活の範囲内でする

という、幼い頃に家族との間で閃いた発想



というものだった。




もちろん、その中には

「本当に好き❤️」も

含まれていたりするのだけど。


実は気付かずにちゃーんと

この宇宙に生きているのだから

巡り合い出会うのだけど♡




けれど、これまでずーーーーっと

範囲を定めた、その平面の世界で

どうにかしようと四苦八苦、彷徨っていた。

わたしの、自意識は。

無意識に、そういうモードになっていたのだ。







家族に無理ならOK〜🙋‍♀️

他当たろうルンルン音符ルンルン音符(平面的に)


と、気持ちよくはならなかった。


多分「えー!そんなぁ😧叶えてよぉ!無理じゃなくない?」とどこかで究極思っていた部分もあり、そこで無理と判断した時に、「むかっ」としたのだ(究極、そんな自分に対して1番に笑)




これまでは、よかったじゃん!と。




完全にその気分で

他を当たることにしたら


それはわたしにとって、家族に対して見切りをつけるような感覚だった(笑)


「この人たちは、わたしの喜びを望んでいないし、叶える気もない」と。




でもでも❣️

究極そんなことないってわかっていた。


「家族は、わたしに愛と恵みを事実与えているし、望みも叶えてくれているし、わたしの喜びを本当に喜んでくれる(わたし以上にかも⁉︎くらいに)」

溢れる以上に与えてくれている。

この身だって、家族に貰ったしニヤニヤハートと。






だから、やっぱり

もどかしくなってくるΣ(-᷅_-᷄๑)🤣


幼少の頃から、きっとずっと

そこでもどかしかったんだ。






家族に無理ならOK〜🙋‍♀️

他当たろうルンルン音符ルンルン音符(平面的に)

と、気持ちよくはならなかった。


と、書いたけれど


わたしはある意味これまでずーーーっと


気持ち悪く‼️他を当たる努力をしていた。
正確には「大丈夫な範囲内で他を当たろうか」としていた。




例えば、勉強とか

仕事などの「身を立てる」と言われる行為だ。

家族も、わたしの幸せを願いそれを望んで、そこを目指す限りは協力体制が充実していた(お金とか)。




でもわたしにしてみたら


完全にそこに投入したら最後

家族は本当に、ある一定まで助けてくれたら

後はサヨナラしたい存在となること確定だった。


書いてきた様に


そうしたら、


究極

わたしの本当の喜びを

この人たちは望んでいないんだ


と言う判断になるのだから。

わたしがそういう判断を下すことにしていたから。





なんかツラツラ同じことを

書くところも多かったと思うのだけど💦



ここに来て

やっと問題点がわかったのでしたブルーハート





それは!



    

家族に心地よく望めない望みなら…
家族に心地悪く望むべき?
家族との範囲内の世界

それとも

家族に心地悪い認定を押して
他の心地よい未開を当たるべき?
家族との世界か、別の世界か




↑この構図です‼️


いっつもこんな構図を作っていたから

もどかしかったんだよ‼️

分断の構図!(爆)






わかりますか‼️

(*≧∀≦*)


きゃー!


ここまで長かったよおあぁー‼️






ふぅ、すいません興奮してつい…(๑˃̵ᴗ˂̵)



長くなったので記事次にいきます流れ星ニヤニヤ