京丸 その1 藤原家


京丸には藤原家というお宅が一軒残っていた。

色々資料などで見るお宅だ。


藤原家入口


藤原家母屋

ここに着いたのは昼。
とにかく弁当だ!
山の少しなだらかな斜面にたたずんでいます。

屋根は瓦葺ではなくトタン屋根か?
鬼瓦(瓦?)には家紋の葉菊が、手前の屋根の鬼瓦には京の文字が見える。
大きな杉の木が沢山立つ。
木々の間から向こうの山々が見える。

ちょうど桜が満開だった。


藤原家表札

藤原忠教(故人:藤原家18代目)と読める。


母屋横の納屋


母屋横の納屋

納屋の裏には大きな杉の木が並んでいる。

何時の頃に植えたのか?
石垣の上に整列している。

藤原家の墓

母屋横の一段上がった広い所にある。

この平地はなんだったんだろうか?
真中の墓石は戦争で亡くなられた方のお墓だ。藤原譲さんだ。
気になったので戦没者名簿みてみた。
小俣京丸として8名載っていた。
意外と多いのでびっくりした。
藤原姓が5名、森坂姓が2名、一橋姓が1名だった。
藤原家の墓の前には霊位があった。
令和2年8月23日
俗名 藤原眞
行年 81才
となっていた。
19代目の当主の方だ。

作業場

母屋から一段下がった所に作業場がありました。

よく見る煙草の乾燥小屋のようにも見える。

ジギタリス

家の周りあちこちに生えていた。
ジギタリス?