母と夫のレビー小体型認知症の経過を交えて その頃の思い出なども まとめてみようと思いました。何回かに分けて長くなると思いますが、今後どなたかの参考になる事があれば幸いです🙇🏻‍♀️  愚痴も交じります🙏 ご容赦ください💦




母は50歳位からレム睡眠行動障害がありました。

その頃はただの寝言。悪夢をよく見るなと思っていました。

その寝言は年々酷くなりました💦


70歳位からは 兄が結婚し家を出た為 一人暮らしをしていた(母が36歳の時に父は胆道がんで他界)

実家には兄の部屋があり、毎週末 別荘のように兄は帰宅してた。

母に言わせれば、もう少し話を聞いて欲しいのに自室でいつも何やらやってるとの事だった…(だから私は少しずつ 別荘と思っていた)

そして70代半ばから 母はやたらと体力がなくなったと言い始めた。


まさか母の命を奪うレビー小体型認知症の始まりなんて分からなかった。

80代の年上の人達と吟行など歩いても自分の方が疲れ易い、体力が無い…と嘆いていたけど、歳だからかな…と私は聞き流していた。


それまでの母は電車で私の家の近くの駅まで時々往復4時間かけて来てくれた🚃

最後は重いからとカートを引いて、中にはポケットティッシュだの、渡したいタオルなど沢山持って来てくれた。

私の嫁ぎ先は夫の実家なので、舅、姑さんがいる為 駅の近くのファミレスで2人で沢山お喋りした✨️

すごく楽しかった☺️

私は母と夫が居てくれたら幸せだった。

友達は気を使うけど、母と夫とは気楽。

体調を崩してからは友達ともあまり付き合えなくなり

もう これでいいや と思ってた…


そんなある日 母が腰椎圧迫骨折で緊急入院した。

後から聞くとレム睡眠行動障害で何とベッド上からそのまま歩き、転落したとの事だった😢

骨粗鬆症…がありその後 腰椎骨折は2回したと思う。母は煮野菜が大好きで、たんぱく質類はあまり好きでは無かった💦



私は自宅から🚗³₃で往復4時間運転し実家に何度も通い、介護認定やヘルパーさんを頼む為の実家の片付け(汚部屋なので死にそうでした💦)私は慢性疲労症候群だったけど、数日泊まりこみ早朝から深夜まで1人でやり。何度も泣きそうになった… というか泣いた。

今 思い出しても苦しくなる…😓


その後も私はほぼ毎日 母に電話をして 色々話を聞く。

母はその頃から異常な便秘があり、酷い時は近くに住む兄に電話し休日の病院を受診したりしていた( 兄はそういう事があると もう自分は妻に迷惑をかけたくないから離婚する!と言うので 私が動くしかなかった😓)

血圧が低い…とか 近くの内科クリニックにも行っていたが不定愁訴と捉えられていたと思う。


今思えば、母は少しずつ変だった。

でも やはり「今思えば」なのです。

何となく動揺しやすくなったり。

「認知症の検査してきたけど大丈夫と言われた」と言ったり…何故認知症の検査なんかするの?と言った。

元々 片付けられない人だったので、部屋がさらに散らかってても 分かりにくかった💦


クレジットカードを近くのスーパーに忘れてきてスーパーに行ったら届けられてたとか聞いて

もう 持ち歩かないように言った。

振り込め詐欺に引っかかりそうにもなった💦

でも全部 歳のせいだと思ってた。


ある時 法事があるので、久しぶりに実家に行って母を見た瞬間 私は泣き出してしまった。

それまでも電話で体調不良は聞いてたけど、愚痴っぽいというか、捉えどころのない…不定愁訴、

自律神経症状…神経質…こんな感じに電話で、思っていたのが

母は 真っ白で 痩せてベッドに腰掛けていました。

今 夫にも感じている「死」を直感したのです😓

レビー小体というのは皮膚にも出現すると言いますが、貧血の白とも違う…母と夫に共通してたのは絵の具のような白です(アリセプト内服後に改善したように感じました)


私はその時 泣きながら「どうしたの?!」と言った事しか覚えてません。そして「ごめん!!」と…