平成31年4月21日。
予定日が令和元年9月25日の我が子が
安定期に入ってすぐの16週と6日でこの世に産まれ、そして旅立ちました。

今日は朝から『平成』が終わるニュースで持ちきり。
新しい気持ちで『令和』を迎えたい人がたっくさん本当にたくさんいるのだなと、なんか嬉しくなります。
私たちは産まれた時から『この世で生をまっとうする』というテーマの中では、どんなに元号がかわろうが何も変わらないのに、国中が新しいひとつの元号に夢とか希望とか明るい話題を込めてお祭りみたいな、とにかくすごく楽しみなんです私も、変化が照れ


あるバンドの歌で、たったのワンフレーズだけですがすごく心に響く曲があります。

『もうすぐ今日が終わる やりのこしたことはないかい
親友と語りあったかい 燃えるような恋をしたかい
一生忘れないような出来事に出会えたかい
かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい』

冒頭のこのフレーズだけですが、そして申し訳なくこの方たちの曲で知っているのは2曲くらいですが、このフレーズは本当にいつも心に響く歌詞です。
まさに今日『平成』が終わろうとしているから、
なんとなくまた、フレーズがよぎったのでした。


皆さんは平成を精一杯生きて、やり残した事はありませんか?
私は、やり残した事だらけです笑
だから新しい令和で、全てやり切れるように努力できるような女性でいたいです。


前置きが長くなりましたが
私がブログを書いているのも、最近できた『やりきりたい事』のひとつです。

今回、我が子を亡くす事を経験しました。
辛いね、よく頑張ったねとみなわたしを労ってくれます。
ブログを通してかんちゃんがお腹に宿ってから産まれて、そしてお別れする時までのリアルを多くの人に伝えて読んで頂き、また、辛いね、本当に辛いねよく頑張ったねと労ってくれる。
だけど私は今、ブログを書く理由の中に『労って欲しい』なんていうものは1ミリたりとも無いんです。
だけど、大変だったなあと思ってくださり思いやりのある言葉をかけてくださる方のお陰で救われて、また頑張れるのも現実にそうなんです。


私はただ、自分が子供を亡くした事を記録に残しておきたいだけじゃない。
それだったら非公開にしてブログを書けばいいだけの話なので。

悲劇のヒロインとして少しでも多くの方の興味を引きたいわけでもない。
こんなに日々考える時間だけを与えられている病床で、私だけが辛い思いをしているヒロインなんだと思い込むわけがない。
私よりもっと大変な思いをした人や、もっともっとお母さんの命も危なかった人、中には本当に嫌だけど、お母さんもお子さんも亡くされた人もいるだろうと思います。
だから、私は辛いの!って主張したいんじゃないんです。
大げさな口調でこのブログを書いているけど、どんな思いをしたから書いたとか、こんなにかわいそうな私が訴えるとか思っているんじゃない。


避けようのなかった現実を生きて
待望の我が子を失ってしまって
気持ちはどん底だとしても
ここからまたそれを克服していく様を
私の経験で事細かに記して伝えさせてもらって
出来るだけ誰もこんな事は経験せずに、経験した人の話を通して経験しなければ気づけなかったかもしれないであろうたくさんの何かを感じてもらえたらという気持ちと

この『慢性早剥羊水過少症候群』という症例の少ない病態が、その症例の少なさゆえ治療法も確立されていないなら、少しでも多くの方にこの病態を分かってもらえて症例が多く集まるか、興味が増えて医療の現場で特効薬ができるような、原因が分かるような事になれば、この病態を診断されてもこの先救われる命があるのかもしれない、その為に少しでも多くの方の目に触れてほしい思いでこのブログを書いています。


私のブログには正直そんなんどうでもいいやん。と思われるような事まで書いてある時があると思います。
昨日のブログで主人との事に触れましたが、
主人は『俺たちの事なんて書かんでよかったのに〜チュー』と言ってたけど
私にとっては大切なことです。

かんちゃんを失った事は稲妻が走るような衝撃的な出来事であったけどそれだけじゃない
伝えるのが本当に難しいけど

人はみなそれぞれに耐性力を持っているけど
私の場合かんちゃんを失った事で持っている耐性力の90を使って立ち続ける事ができた。
持っていた力が100とするなら残りはあと10。
私が立てなくなってしまうまでに、倒れてしまうまでに、残された力は10。
かんちゃんを失ってからの日常で少しずつ減らされていったとして私が完全に倒れてしまうとどめの一撃になる出来事って、結構大したことない日常だったりするのかもしれない。

我が子を失う、という出来事は

形に残されていた実在していたかんたが居なくなってしまうことだけではないから
むしろそこが始まりのように、今は感じています。
愛する人を失う事は完結しない

終わったのは目に見えていたものが消えてしまったからなだけで
消えてからそれをいい思い出に、
生きているものとして、残されたものとして都合よく理解し受け入れる事が出来るようになるまでの始まりといえると思います。


だからかんちゃんがいなくなってからの私のブログは、私たちの人生を書いているから。
私たちがどう転けたかを分かってもらいたいんじゃなく
私たちがどう立ち上がるのかを分かってもらいたくて書いています。


だから本当に興味ない話も多いし笑
大げさで偉そうやし口笛
書いたからには本当に1人でもいいから意味を成したい。
まあでもこのブログを書き始めた事で、私という女にはもう充分に意味を成していますが…笑