何のために生きるのか?
・・・これは最も重要で根源的な問題である。
現代人の多くは、快楽の追求が目的になっているようだ。
仏陀が説いた無我は、「自我我欲を去る」という意味もあるが、現代人は全く逆の生き方をしているとも言える。
科学は進歩したが精神性は退化したのかも知れない。
人間は本来、「魂」であり、魂修行のためにこの世に肉体を持ち、様々な経験をしている。
その魂修行の目的は「悟りの向上」だ。
経験の中から教訓を引き出し、認識力を上げねばならない。
また、この世界を良くするために何らかの使命を持って生まれてくる。
つまり社会貢献という名の利他行だ。
「悟り」が上へと向かう縦のラインとなり、
「利他愛」が水平に向かう横のラインとなり、
十字の交わるところに自分がある。
「悟り」は、「宇宙の法則への理解」となり、
「利他愛」は、「人間の心の法則への理解」となる。
人間の持つ二つの目的である「悟り」と「愛」。
この二つを融合するのが「理解力」だ。
世界の成り立ちを理解し、他人を理解し、そして、それが自分を知ることにつながる。
この理解力の追及は、この世的な快楽の追及など取るに足らないエキサイティングなものだ。
知的好奇心を満たす喜びを知った人間は、この世的な快楽への興味が薄れてゆく。
以前、「ダイエットの失敗の原因」として、
「食べることが人生の目的になっている人は失敗する」
ということを述べた。
https://ameblo.jp/kansya-houon/entry-12843420777.html
自我我欲を抑えるのは難しい。
より高次で高邁な理想に置き換えることが大事かと思う。
「今日は、世界への理解をどう深めたか?」
「今日は、他人の何を理解したか?」
「今日は、自分の性質の何に気付いたのか?」
・・・そんな問いかけをしながら生きれば、人生は驚きと発見の連続となり、エキサイティングなものとなるだろう。