初めて久遠寺へ参拝したのは、2023年の6月頃だった。
 職場で常に悩み事が絶えない日々の中、日蓮宗で唯一存じ上げている尼僧さんから、「一度くらい身延山へ行ってみたら?」と言われたのがきっかけだった。新東名から中部横断道に入ってしばらく走ると身延町へ着いた。山内にある宿坊を予約して泊まり、翌朝、雨の中、傘をさして久遠寺へ向かった。まだ5時というのに、すでにお勤めは始まっていた。日蓮宗のことはほとんど知らない。勝手がわからないまま、本堂へ行くと、お坊さんたちと、信者さんたちが、読経の最中だった。横からそっと入って行って、隅っこの椅子に腰掛けて経文を目で追っていると、隣に座ってお経を読んでいた老婦人が声をかけて来た。「お姉ちゃん、そんな所にいたら、仏さんが見えないでしょう?こっちへ来なさい。」そう言って老婦人は座っていた位置を少し右へ移動した。それで私も続いて椅子をずらした。すると、ようやく柱の影に隠れて見えなかったご本尊が見えた。老婦人を見ると小さく頷いてくれた。このとき私は法華経のテンポの良い読経の声を何も考えずにただボーっとしながら聞いていた。
 読経が終わり、周りを見ると、信者さんたちが列を作って焼香に並んでいた。私も列の後ろに並んで焼香させていただいた。さらに、皆さん横の列に並んでいるので、私も続いて並んだ。前まで来ると、みな順番にお坊さんから散華を受け取っている。そして、私もまたお盆の上に積み上げられた散華の中から1枚いただいた。受け取って見ると、真ん中に「南無妙法蓮華経」と書いてあり、その両側に経文が書かれてあった。菅長が直筆で書くのだそうだ。
 それは、「一心欲見佛」と「不自惜身命」の2行だった。私はその文言を覚えていた。以前、住職が亡くなった年のお盆に卒塔婆を何本か書いた。上部に2行だけ経文を書き入れるのに好きな文句を選んで書いたのが、たまたま『如来寿量品』の数行の部分だった。当時は日蓮宗のことも法華経のことも、もっと知らなかった。ましてや、日蓮宗に知った人なんか1人もいなかった。だが、この『如来寿量品』の文句の、なんとも美しいことに独りで感動したのを今でも覚えている。この日お坊さんから手渡された散華には、私の好きなその一節が書かれていたのだ。お坊さんが無作為に引いた1枚に、である。あまりの偶然にハッとして、周りを見まわしたが、先刻の老婦人はすでに退出したのか、もう居なかった。
 身延から戻って、後日また尼僧さんを訪ねた。その不思議な体験を話すと、尼僧さんは、「そんな経文は、意図して引こうったって、なかなか引けるモンじゃないけどねぇ。」と言って高らかに笑った。        
 「そんな所にいたら、仏さんが見えない…」この言葉は後々まで私の心に深く刻まれた。
 同年7月、私は一度退職し、故郷に戻った。「このままでいたらいけない。」と思った。信仰の欠片にすら触れる余裕もなく過ごした時間を少しでも取り戻したかった。温泉旅館を泊まり歩き、写経三昧の2週間を過ごした。ただし、写したのは法華経ではなく、般若心経であったのだが。