はじめして。簡単な自己紹介から始めさせていただきます 昭和47年東京都港区青山出身、愛知県岡崎市で育つ。生家は越前太守北庄城主柴田修理亮勝家公の養子越前丸岡城主柴田伊賀守勝豐君の家名を継ぐ、德川將軍家の直参御旗本家の直系子孫です。「柴田勝豐に子孫なんていた?」と思われる方が多かろうと思いますが、家名を受け継いだ養子の子孫が將軍家に仕官が叶い、6代將軍德川家宣公の代に御旗本にに列しました。そのため、「寬政重修諸家譜」にも当家の先祖の系図は所収され、また一般に不明とされている勝豐君の戒名も当家の過去帳には記載されています。また、勝豐君所用伝えられる脇差が当家には伝えられています。


当家初代柴田伊賀守勝豐君が築城した、越前丸岡城。全国12現存天守のひとつ。

月岡芳年筆『魁題百撰相』に描かれた柴田伊賀守勝豐君。

当家伝来の武具等。伝勝豐君の脇差。掛け軸は勝海舟伯真筆。