菅原道真公 | ぷかぷか ゆらゆら

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あらがうことなく流れのままに

旧暦の2月25日は

菅原道真公の祥月命日。

私の氏神様であり、

産土神さまである方。

朝、お参りに行きました。

 

菅原道真公は

学問の神様で有名ですが

どうして、学問の神様として

祀られるようになったのか…

 

道真公は子供のころから

とても頭がよく、

弓もうまかったそうです。


そんな方なので、

みるみる出世され

いろんなことに取り組まれた。


それを面白くなく

思ったのが藤原家。

なんとか道真公を

引きずりおろそうと画策します。

 

道真公の出世には宇田天皇の

後ろ盾のおかげもあったそうで

宇田天皇が上皇になられたことで、

(一部には、藤原家が宇田天皇を上皇に

追いやったとも言われてるそうです)

道真公の後ろ盾がなくなった。


それを機に藤原時平が道真公は

謀反を起こそうとしていると

醍醐天皇に訴えたことで、

醍醐天皇は宇田上皇に

相談することもなく

福岡の大宰府に

左遷してしまうそうです。


その後の生活は軟禁生活で、

食事もろくに取れない状態で

延喜3年(903)に

亡くなられたそうです。

 

その後、道真公を陥れた者たちが

次々不幸に襲われるそうです。

そして、これは道真公の怨霊では

という噂になり

頭のよかった道真公を

学問の神様として、

天満宮や天神様として

祀られるようになったそうです。

 

道真公が祀られている

太宰府天満宮の近くでは

梅が枝餅というお餅が

売られています。

これは道真公が

軟禁生活を強いられていた時

不憫に思った方がお餅を

差し入れようとしたけれど

格子に阻まれ中まで

手を入れられなかったため

梅の枝を使って渡したとか

亡くなられてから、

お餅を梅の枝と一緒に

お供えされた方がいたからなど

諸説あるそうですが、

どちらにしても

道真公を偲んで

作られたもののようです。

 

今は道真公の無実が証明され

人々に愛されよかったなぁーと

個人的に思っています。

 

お祀りされるいきさつは

少し悲しいですが

でも、道真公が

神様として祀られたことは

よいことですし、

天神様としてますます

お力を発揮して

いただくことを願うばかりです。