町田慎吾sama
34回目のBirthday
おめでとうございます音譜音譜音譜音譜

今更ながら、町田sanて早生まれなのな~。
今回色々と昔の町田sanの映像やエピソードを見ることになって、改めて町田sanはSpecialな存在なんだとつくづく感じました。
そして町田sanの成長の軌跡に感動してしまいましたショック!

今の私は割りと韓流の俳優さんとか好きなのですが、ファンミーティングがあっても行きたいと思うほどの情熱が湧いてこない(苦笑)。
そんな私が「行こう!」と思わずにはいられなかったくらい、町田sanは特別な衝動を抱かせる人なのです。

あれは1997年12月、『Kyo to Kyo』
京都まで観に行く情熱は町田sanだから生まれたのだろうなぁ。

過去の話ですが、私がネット生活を始めたのは15年前の町田sanの誕生日でした。
あの夜生まれた猫たちも、皆天国にいってしまうくらいの時間が流れたわけで……想い出が多過ぎる(>人<;)

これからも想い出が増やしていける、そう願っています。

町田sanが望む道を、町田sanの望むように歩いていってくださいネ虹星お月様星虹
どんな道でも応援しています。


町田sanも涙したであろう曲をプレゼントに。

There's only us
There's only this
Forget regret or
Life is yours to miss

No other road no other way
No day but today

歌詞は『RENT』サウンドトラックから引用しています。

お元気ですか?
日々、心安らかに過ごしてらっしゃいますか?


つくづく、“町田慎吾”という人は、私に色んな感情を生まれさせ、自分自身を見つめさせる人だなぁと感じ入るばかりです。
心花(ときめき)を生み、癒しを与え、衝動を生じさせ、でも不安もはらませ、そして確信を抱かせる人。


以前、「信じているということと、知っているということは違う」と書いたことがあります。
今回もそう感じています。
町田sanを信じている、というよりは“町田慎吾”という人を知っている、と。
それは私だけではなく、町田sanを応援してきた人たち皆の、想いなのではないでしょうか?


町田sanを語る時に真っ先に挙げられる魅力は、演技、Danceへの真摯な姿勢、だと思います。
そりゃ確かに、町田sanのファンになった最初のきっかけは容姿だったかもしれません。
だけど町田sanを知るにつれ、尊敬の想いが大半を占めるようになったのですよね。
(舞台上でハラハラせずにはいられない要素がある、ということも大きな魅力ですが)
町田sanの舞台を観る度に、私は自分の私生活を省みることになり、そしてその度にもっともっと頑張って生きていこうと思わずにはいられないのです。
指針だったりすることさえあります。


だからこそ今回の町田sanの決断は「来る時が来た」ということだと、頭では解かっているのですよね。
知りたいのは、その決断の中身であり、その方向。


結局、どんな形であれ、“町田慎吾”を応援し続けることには間違いなかったりするのですが。



前回「町田sanが踊り続けてくれるならそれでいいし、どんな形であれ私達の前に立ってくれるなら、どこにだって見に行く」そう思っていました。
それは当時、仲良くさせていただいていた町担の人達もそうでした。


「町田sanが舞台に立ち続けてくれるのならそれでいい」



日本アカデミー賞を受賞した岡田准一kunが、緒形拳さんと共演した際に頂いた言葉に支えられて演じ続けてきたとコメントしていた中で印象に残った一節があります(全文、感動的で感涙してしまったのですが)。
『芝居をやるには難しい環境かもしれない』
緒形さんが何を指してそう表現したのかは想像にかたくないのですが、町田sanにとってもそうなんだろうなとその時思ったんですよね。
す~ごくプラスにもなるけれど、偏見もハンパないわけですから。


前回の時はそう感じさせられた場面も実際ありました。
でも今回は違うと思うのです。
町田sanが真摯に演技と向き合ってきたこと、多くの仲間、友達と出逢ってきたこと。
年齢と実績。
培ってきたものは宝であり武器です。
今の町田sanなら、試練を乗り越えて自分の足で立ち、進んでいける。


『出逢いは必然』
町田sanが以前『禁断のMAん華鏡』で書いた言葉。
私もそう思っているし、今回はそれが如実に現れたのではないかなぁ。
私にも経験があるのですが、自分の人生を振り返り、未来に対して向き合う時期ってありますよね?
町田sanにとっては節目の年がそうであったということで、その年に出逢った人たちからの刺激は大きかったのでしょう。
必然だった出逢いから何を育んでいくかは、自分次第。
(偉そうに書いてますが私自身は出逢いから傷ついて、その出逢いをプラスに捉えられるようになるまでの煩悶を何回もしているのであまり参考になれません)
とはいえ町田sanが出逢いを得ることが出来た場を、与えてくれた多くの人たちがいることも事実で、その人たちには心から感謝しています。
私にとっての町田sanがそうであるように、町田sanにとって指針となり続けてくれている人もいるでしょう?


とつらつらと謂わば希望的観測を書いてきましたが、町田sanがどんな形の今後を決断したのかは、もうしばらくしなければ知ることは出来ないのですよね。
私がひとつの出逢いを経て学習したことなのですが、あまりプレッシャーって与え過ぎてはいけないと思われます。
だって町田san自身、すっごく悩んだだろうし、沢山沢山考えた上での決断ですものね。
さぞかし不安だったろうと思います。
大変だったね。



願うことは本当にただひとつ。
町田sanが“町田慎吾”であることだけ。
町田sanが自分で納得できる自分であれば、それでいいのです。



なので同じ理由から私はジャニーズも好きなままです。
前回の時に町田sanがいないからとジャニーズ好きを辞めてしまえば、その間の自分自身をも捨てることになるなぁと気付いたので、自分が好きだと思うものは好きでいいやと決めたのです。
ジャニーズ以外も含め、我ながら呆れるほど沢山好きな人はいて、それが私なのですが、ただ町田sanは特別なのです。
これって割と当人には伝わらないのだけれど(汗)



『あなたが笑えば誰かも笑うこと
 乗り越えれば強くなること』


この20年間の自分自身を誇りに思っている町田sanが、『Shingo→』の最後の更新から伝わってきて、それが“町田慎吾”のファンとして嬉しかったです。
町田sanは私の世界を広げてくれて、色々な世界を見せてくれて、沢山の感情を抱かせてくれた人。
町田sanに出逢わなければ「カッコイイ!!!!」と言わずにはいられない衝動も、努力が認められて良かったねと嬉しく思う感動も、どきどきはらはら手に汗握る観劇中の瞬間も、どうなるんだろう?と不安になる日々も生まれなかったと思います。
傷ついた心が頑なに内にこもり、小さな内世界で満足してる自分に気付きさえしなかったと思う。
感情を揺り動かしてくれた町田sanがいたから、今の私がいる。
You are My Hero.
いつもいつも思うのですが、町田sanに対しては本当に感謝しかありません。
心から、ありがとうございます。


元々好きだったのですが、この数週間、絢香さんの『にじいろ』がずっと心の中に流れていました。
なのでこの文章の最後に置かせてもらいました。


『ひとつひとつがあなたになる
 道は続くよ』



町田慎吾sama、たくさんたくさん、ありがとう。
願わくば、また会ってくださいネ(^^♪



追記:イタい文章なのは十二分に承知しております。

が、しかし、イタい想いも書かずにはいられないのがファンであります。

ご了承くださいませ。


事務所に入っての20周年
クラッカークラッカークラッカーおめでとうございますクラッカークラッカークラッカー


材木座の海



20年‥‥先日TOKIOが20周年を迎えていましたが、彼らが一線に立ち続けてきた時間と同じだけの時間を、町田sanと大野sanはジャニーズとして積み重ねてきたのですね。


沢山の出逢いがあって、幾つもの別れがあって、想像もつかないほどの悩みを抱え、乗り越え、今の二人がいるのでしょう。


先日の翔kunの番組で「HAWAIIでのリーダーは酒を飲む度泣く」と語っていましたが、そのエピソードは大野sanの色々が思い浮かべられるような気がして感無量でした。


同じ日に事務所に入った同期。


町田sanと大野sanのことを語るとき、どうしたって外せないのは京都での日々でしょうし、鎌倉の海、でしょう。

という訳で最初の写真は材木座、鎌倉の海、です。

ふたりとその仲間たちは鎌倉のどこの海に行ったんでしょうかね?


鎌倉の海、そして

『朝日を見にいこうよ』


ジャニーズJr.コンサートでの二人の美しさは、今でも忘れられません。

どんな形であれ、また同じ舞台の上で演技する二人の姿が観られたら‥‥

あの時見た夢は今でも夢見ています。


というか、今も夢を抱き続けていられる、私たちは幸せですね。

町田san、大野san、本当にありがとうございます。


二人が事務所にいるからこそ、私たちも二人の繋がりを今でも知ることが出来るのですもの。

どんなに感謝してもし足りないくらいです。

その場を与えてくださっている、事務所の方々にも心から感謝です。


これからも付かず離れず、曲者の二人で、不思議な関係で。

よろしくお願いします星パンダ星ヒツジ



諏訪の空


改めまして、


町田慎吾さま

20周年、おめでとうございますドキドキラブラブ音譜



町田sanの20年のうち、私がファンでなかったというか、町田慎吾という人を知らなかったのは2年くらいなんだと思います。

私のジャニーズファン歴がV6の活動歴とほぼ同じはずなので。


一番の想い出ってなんだろう?とつらつら考えてみたのですが、割かし『負』の出来事が思い出されてしまうのですよね。


カウントダウンコンサートが象徴的かもしれないなぁと気が付きました。

あの当時、前の公演にはいたはずなのにいない、と気づいた時から町担の苦難の日々が始まったのですものね。

そしてまた病気になった時も屋良くんと米花くんはいるのに‥‥嗚呼、可哀想な町田sanしょぼんという風に。


でもその度に、大切な仲間であり、素晴らしい先輩方に愛されている町田sanの様子を知ることが出来たのでした。

ご家族を含め、町田sanを支えてくださっている皆さまに心から感謝いたします。


そりゃ、色んな想い出ありますよ~☆彡

歌う度に手に汗握ることになろうとは予想だにしなかった牛若丸時代とか、『Kyo to Kyo』のTOKYO浜松町公演。

『PLAYZONE』でトニセンの代わりを務めたBプロでの喜び、楽しさ、心臓のバクバク。

『FAME』での観てる側が心配になってしまう程の、シュロモ役への入り込みよう。

『あの娘ぼくがロングコント決めたらどんな顔するだろう』の、ジャックとナイフの切れっぷり。

文章めっちゃ上手くて、光一くんLOVE満載な『shingo→』。

そしてテレビの前で頭を抱えたバイオリンの先生まで、ネ。


『真夏の夜の夢』でパックを演じた、というのが私の中での町田san像を変えた役かもしれません。

だって、あの北島マヤと同じ役だもの!!!


踊る町田sanが大好きですが、演じる町田sanも大好きです。


町田sanが頑張っていてくれるから、町田sanの舞台を観に行け、町田sanにステージ上と客席とで逢える。

その幸せがとても愛おしいですラブラブ


町田sanが選んできた道を歩き続ける姿を見てこれたこと、本当に幸せだと思っています。

ここまでくると町田sanに望むことは、これといってなくなりました。

ただひとつ、町田sanが「やりたい!」と思う場に立っていてください。

それだけで十分です。

そして身体にだけは十二分に気をつけてくださいませ。



町田慎吾さま

心からあなたに感謝しています。

色々、色々、ありがとうございますニコニコ


まずは、町田慎吾さま、32回目のBirthdayおめでとうございます
少し遅れてしまいました、申し訳ありませんm(__)m
愛が薄れたわけではありません~町田さんの誕生日当日には仕事中にパグを2匹見かけて、レバ子のことを思い出していました。
あれからどれだけの月日が経ったのかな、って。
町田さん、たまにはレバ子のことを思い出しますか?
そういえば私が作ったファンサイト、まだウェブ上に存在してて黒パグのアイコンとかあったかも?

前からの町担にも、舞台で町田さんを知った方にも町田さんと動物たちとの話は知っていて欲しいなぁとか思ったりします。
今、何匹飼ってるんでしょうね?



け・せら・せら-120419_151147.jpg



そしてそして、舞台『私のダーリン』開幕、おめでとうございます
舞台が舞台を呼ぶ。
町田さんを自分の舞台にと呼んで下さる方たちがいること、本当に感謝しています。
だから私たちファンは町田さんの舞台を観に行けるわけでしてニコニコ

えぇ、昨年の町田さんの誕生日に書いていた、夏の青山円形劇場には無事、行ってまいりました。
町田さんが近くて驚いた以上に、演出上、隣の席に東新くんが何度も座ったおかげでリラックス出来なかったというのが最大の思い出ですショック!
今年も一度くらいは町田さんの舞台を観に行きたいなぁ~。
「そんな時間ないでしょ」とか惚れた男に言われてしまうと、そうなのか?と悩んでしまう、ダメな私。


愛の種類が違うのですニコニコ


町田慎吾さま、大変な31才の年でしたが、あなたが私たちの前に立ってくれていること、本当に感謝しています。
去年の暮れに町田さんが書いた言葉、「今更、何を」でしたよ。
ここまであなたを応援してきたのですもの、どこまでだって応援し続けます!
充実した一年に、していきましょうニコニコラブラブ
4年振りのブログ更新です。
うん、町田さん、お誕生日おめでとうございます

け・せら・せら-釜口水門からの八ヶ岳

いつもタイトルには町田慎吾くん、と書いてきましたが~気がつけばきゃつめも“くん”が似合わない年になってしまいました!
それにそもそもファン歴10数年のわたくしですが、町田さんのことを町田くんと呼んだのは数えられるくらいなんじゃなかろうか??
町田さんは町田さんか、町田だからなぁ~。
私の周囲の方々は町田と呼んでいますガーン

町田さんが自分でも年齢の話をするじゃないですか、あんまり私は町田さんの年を気にしてなかったのに、その時、あれ?町田さんったら私が町田さんのファンになった年齢を超えてる?!とビックリしたのですよ。
町田さんの年齢を逆算していって、私は幾つの時に……って考えたら結構前に超してました。
まだ私、20代だったもんにゃー

そんなことさえ考えられない日々をここのとこ送ってきてしまったのですよ……
ブログの更新もままならずしょぼん
でも少し余裕が生まれてきたので携帯からだけど更新してみようかな、と思えたのはやはり町田さんの誕生日だからです桜
というか町田さんの日記のせいだなぁ晴れ

あれはずるいと思うのですよ、あんなことを町田さんに書かれた日には、町田ファンは絶対行きます、青山円形劇場キラキラキラキラキラキラ
ファンにとって渋谷駅から青山劇場への坂道は、夏、何年も、何度となく通った思い出の道なのです。
それを町田さんにとっても思い出の道だ、と書かれた日には、ねぇ?

夏、夏といえばプレゾン。
青山劇場、坂道、夏の陽射し、ドキドキする終演後の夜の下り坂。
町田さんが帰ってきてくれた場所、町田さんを迎え入れてくれた場所。
青山劇場、それはどうしたって“特別”なのです。

“特別”な場所で町田さんに逢えるよう、頑張りますニコニコ
うん。

町田慎吾くん、充実した年になること、祈っていますキラキラキラキラキラキラ