事務所に入っての20周年
20年‥‥先日TOKIOが20周年を迎えていましたが、彼らが一線に立ち続けてきた時間と同じだけの時間を、町田sanと大野sanはジャニーズとして積み重ねてきたのですね。
沢山の出逢いがあって、幾つもの別れがあって、想像もつかないほどの悩みを抱え、乗り越え、今の二人がいるのでしょう。
先日の翔kunの番組で「HAWAIIでのリーダーは酒を飲む度泣く」と語っていましたが、そのエピソードは大野sanの色々が思い浮かべられるような気がして感無量でした。
同じ日に事務所に入った同期。
町田sanと大野sanのことを語るとき、どうしたって外せないのは京都での日々でしょうし、鎌倉の海、でしょう。
という訳で最初の写真は材木座、鎌倉の海、です。
ふたりとその仲間たちは鎌倉のどこの海に行ったんでしょうかね?
鎌倉の海、そして
『朝日を見にいこうよ』
ジャニーズJr.コンサートでの二人の美しさは、今でも忘れられません。
どんな形であれ、また同じ舞台の上で演技する二人の姿が観られたら‥‥
あの時見た夢は今でも夢見ています。
というか、今も夢を抱き続けていられる、私たちは幸せですね。
町田san、大野san、本当にありがとうございます。
二人が事務所にいるからこそ、私たちも二人の繋がりを今でも知ることが出来るのですもの。
どんなに感謝してもし足りないくらいです。
その場を与えてくださっている、事務所の方々にも心から感謝です。
これからも付かず離れず、曲者の二人で、不思議な関係で。
よろしくお願いします



改めまして、
町田sanの20年のうち、私がファンでなかったというか、町田慎吾という人を知らなかったのは2年くらいなんだと思います。
私のジャニーズファン歴がV6の活動歴とほぼ同じはずなので。
一番の想い出ってなんだろう?とつらつら考えてみたのですが、割かし『負』の出来事が思い出されてしまうのですよね。
カウントダウンコンサートが象徴的かもしれないなぁと気が付きました。
あの当時、前の公演にはいたはずなのにいない、と気づいた時から町担の苦難の日々が始まったのですものね。
そしてまた病気になった時も屋良くんと米花くんはいるのに‥‥嗚呼、可哀想な町田san
という風に。
でもその度に、大切な仲間であり、素晴らしい先輩方に愛されている町田sanの様子を知ることが出来たのでした。
ご家族を含め、町田sanを支えてくださっている皆さまに心から感謝いたします。
そりゃ、色んな想い出ありますよ~☆彡
歌う度に手に汗握ることになろうとは予想だにしなかった牛若丸時代とか、『Kyo to Kyo』のTOKYO浜松町公演。
『PLAYZONE』でトニセンの代わりを務めたBプロでの喜び、楽しさ、心臓のバクバク。
『FAME』での観てる側が心配になってしまう程の、シュロモ役への入り込みよう。
『あの娘ぼくがロングコント決めたらどんな顔するだろう』の、ジャックとナイフの切れっぷり。
文章めっちゃ上手くて、光一くんLOVE満載な『shingo→』。
そしてテレビの前で頭を抱えたバイオリンの先生まで、ネ。
『真夏の夜の夢』でパックを演じた、というのが私の中での町田san像を変えた役かもしれません。
だって、あの北島マヤと同じ役だもの!!!
踊る町田sanが大好きですが、演じる町田sanも大好きです。
町田sanが頑張っていてくれるから、町田sanの舞台を観に行け、町田sanにステージ上と客席とで逢える。
その幸せがとても愛おしいです
町田sanが選んできた道を歩き続ける姿を見てこれたこと、本当に幸せだと思っています。
ここまでくると町田sanに望むことは、これといってなくなりました。
ただひとつ、町田sanが「やりたい!」と思う場に立っていてください。
それだけで十分です。
そして身体にだけは十二分に気をつけてくださいませ。
町田慎吾さま 心からあなたに感謝しています。
色々、色々、ありがとうございます