お布施が寄付っていうごまかしはもうやめましょう。
様々な宗教がありますが、仏教とそれ以外についてのお話しです。
日本人の多くに宗教に対する悪い印象ってどことなくあるのではないでしょうか。
一時期正体のよくわからない新興宗教が沢山出てきて悪い印象を持っている方が一番多いでしょうか。
方言なのかどうなのかはわかりませんが、関西では妄信的に集団として何かの活動をしている人たちの事をなんかの宗教か!
と皮肉をいう事があります。
それはさておき今回は仏教にフォーカスを当ててのお話しです。
お布施というのは仏教用語ですので、他の宗派では使いません。
今ではお布施というとお金を支払う事となってしまっていますが、基本的にはお布施というのは財施・法施・無畏施などがあり、お金を支払う事だけを指す言葉ではありません。
大昔それこそ江戸時代とかでしたら、農家なら作物などといった物品で対価を支払ったりしていました。
払える物で感謝を表す。
それが寄付という物です。
寄付というと一時話題に上がりましたが、タイガーマスクとして孤児院にランドセルを寄付したりといったことが話題にあがりました。
お金を渡せばランドセルを買えますがランドセルを渡すというのも寄付です。
孤児院が子供たちにお金を要求しますでしょうか?
ランドセルじゃなくてお金が良いと言うでしょうか?
ランドセルの数が少ないと言うでしょうか?
広く一般人に寄付金のお願いはするでしょう。
お金じゃなくてランドセルでも嬉しいのではないでしょうか。
せっかく寄付してくれた人に対して足りてる足りていないなんてお話しをするでしょうか。
さて、仏教はどうでしょうかね。
寄付金と言う名のお布施を強要してませんか?
寄付する物を強制的に決めてませんか?
寄付が少ないと言ってませんか?
寄付というのはする側が自発的に行う物ですから相場なんて物は当然ありません。
相場どころか最低額というのもありません。
神社のお賽銭みたいなものです。
神社でお賽銭を入れる時に1円だけ入れる人もいれば、1万円を入れる人もいます。
お賽銭を入れる時に神主さん等施設の方に相場を聞く人っているんですかね?
恐らくほぼいないでしょう。
それなのに葬儀の時にはお坊さんに相場を聞く方はかなり多いです。
そりゃ寄付でいくら包んだらいいかと聞くようなお金持ちには沢山ってお坊さんも答えますよ。
寄付というのは何度も言いますが自発的に自分で行う物です。
無理のない金額というのは自分にしかわかりませんから自分で決めれるはずですが、それを寄付する相手に聞くという事は相手にいくら欲しい?って聞いているような物です。
そんなことしておきながら要求が高いとか厚かましいのはどっちだっていうのがお坊さんの言い分です。
じゃあ聞くなよとしか言いようがないですからね。
親が子供におこずかいをあげる時の感覚でお坊さんに金額聞いてませんか?
子供ですらそこそこの金額答えますよ。
と、これは払う側へのお説教です。
まず大前提として金額位自分で決めなさい。
払う金額が大きい少ないというのは人それぞれの懐の事情によるのですから、恥ずかしいも糞もありません。
極端な話し月に100万稼いでいようが20万稼いでいようがきっちりと毎月使い切ってたらどちらも1円も払えません。
もう一つ言える事はあくまでも読経をしてくれた事に対するお返しとして渡しているということ。
読経というのは仏の教えを説いてくれている事です。
それに対して払うのですから、間違ってもお供養ではありません。
お坊さんにお金を払うという行為が故人への供養に繋がる訳ではありません。
お経の中身というのは簡単に言えば生きてる人に対する教えが書かれているのですから、故人を供養するためにお経を読んでもらっているという考え自体がそもそもの間違いなのです。
※故人を送る為の儀式も途中に挟んでいるので全部が故人の為では無いという事はないです。
どうしても色々な物に紐づけて考えてしまう方が多いので、お坊さんが故人の荒ぶる魂を沈めて浄化してお浄土に送っていると思っている人が少なからずいるという事は確かです。
それに対してお金を渡すのだから低い金額ではダメだ!
みたいな感覚になっている方が多いです。
そうではなく儀式関連に来てもらった事とお布施は別に考えた方が良いです。
お坊さん側に言える事はほんとに供養する気持ちがあるのならば、金額がどれだけ低くても文句言わずにやれって事です。
お布施が高いと思う気持ちというのはあなた方にその価値が無いということです。
普段から地域の人達の為に葬儀以外でも何かとしていたらお布施が高いなんて事は言われません。
葬儀の時や人の死に関わる事の時だけにひょっこりと現れて高額な金額を持って帰る。
こんな事してたらそりゃ高いと感じるに決まっています。
しかしこれはお坊さんだけの責任ではないです。
お寺に行かない人達がそう思うのは行かない人達が悪いという事ですから。
しかしそういった人達だけが高いと言っているのかというとそういうわけでもありません。
しっかりと普段からお寺に行っている方達も高いと仰っている状態です。
その現状に目を瞑っていませんか?
普段からお寺に来ない人達だけが高いと言って騒いでいると思っていませんか?
そもそも寄付なのに高いという事に物凄い矛盾を含んでいる事すらお寺側はわかっていなさそうです。
何度も言いますが寄付はする側が値段を決めて行う物です。
それを行う側が高いというのはおかしいと思いませんか?
自分で値段決めれてないという事じゃないですか。
寄付だという建前を守りたいならばしっかりとそれを自分で守らないといけません。
払っている側は恐らくですけど誰一人として寄付だと思っていません。
まずそこをしっかりとしろと。
前提がすでに狂っているんです。
払う側に寄付であるからいくらでも良いと徹底をして伝える事。
そして貰う側のお寺の教育もしっかりとしなければなりません。
現場に出て思うのは、あくまでも平均ですがという枕詞を付けて言いたい放題してるお寺が少なからずあるという事を認めましょう。
それらを取り締まることなく寄付だと言い張る行為のなんとむなしい事か。
宗教法人は営利団体ではないんですからお金を追う行為をしたら一般大衆から責められるのは仕方ないと認めなければなりません。
宗教活動はあくまでも信仰の自由の上で認められている行為であって、それを利益活動に利用した場合は宗教活動ではなくただの商売です。
日本の法律は基本的にモラルに任せて大ざっぱに決められている部分が大きいので、どうしようもなくなっているのが現状です。
宗教家として、聖人と呼ばれる立場にあるんですから少しくらい自分達を律するように自浄作用を働かせてほしい物です。