彦根城天守、附櫓及び多聞櫓(ひこねじょうてんしゅ、つけやぐらおよびたもんやぐら) | 関西の国宝建造物と国宝彫刻(仏像)のすべて

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国宝 彦根城天守、附櫓及び多聞櫓(ひこねじょうてんしゅ、つけやぐらおよびたもんやぐら)

天守

桃山時代1606年

天守 三重三階、地下階段室・玄関付、本瓦葺

附櫓及び多聞櫓

桃山時代1606年

櫓及び多聞櫓 各一重櫓、本瓦葺

彦根城(ひこね じょう)は、日本滋賀県彦根市金亀町にあるである。江戸時代および1869年明治2年)の版籍奉還後から1871年(明治4年)の廃藩置県まで彦根藩の役所が置かれた。天守、附櫓及び多聞櫓国宝、城跡は特別史跡かつ琵琶湖国定公園第1種特別地域である。天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は犬山城松本城姫路城松江城)。

江戸時代初期、現在の滋賀県彦根市金亀町にある彦根山に、鎮西を担う井伊氏の拠点として置かれた平山城(標高50m)である。山は「金亀山(こんきやま)」との異名を持つため、城は金亀城(こんきじょう)ともいう。多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城であった。

明治時代初期の廃城令に伴う破却を免れ、天守が現存する。天守と附櫓(つけやぐら)及び多聞櫓(たもんやぐら)の2棟が国宝に指定されるほか、安土桃山時代から江戸時代のなど5棟が現存し、国の重要文化財に指定されている。中でも馬屋は重要文化財指定物件として全国的に稀少である。一説では、大隈重信の上奏により1878年(明治11年)に建物が保存されることとなったのだという。

複合式望楼型3重3階地下1階の天守で、幕府の普請(天下普請)による。飾り外廻縁と高欄を持ち、切妻破風、入母屋破風、千鳥破風、唐破風が組み合った、複雑な構造美と輪郭の荘厳な景観の意匠となっている。

城の形式は連郭式平山城。また、現存例の少ない倭城築城の技法である「登り石垣」が良好な形で保存されている。この石垣は天秤櫓の向かって右が牛蒡積み、向かって左が落し積みとなっている。なお、城の北側には玄宮園楽々園という大名庭園が配されており、これらは「玄宮楽々園」として国の名勝に指定されている。玄宮園、楽々園はかつて松原内湖(戦中・戦後に干拓)に面しており、入江内湖も望める絶景であった。

ウィキペディアより

 

天守の左が附櫓及び多聞櫓

玄宮園から見た天守

 

現存天守は12城あります。

そのうちの一つであり、国宝天守5城のうちの一つでもある彦根城。

何度も訪れてはいますが、何度行っても飽きない良さをこのお城は持っていると思います。

四季折々に良さはありますが、私は桜の時期が大好きです。

 

廊下橋

天秤櫓

太鼓門

 

観覧

 

 

彦根城HP 彦根観光協会

 

アクセス

 

電車

※JR東海・JR西日本 東海道新幹線 米原駅から車で約20分、もしくは、東海道本線に連絡。

※JR西日本 東海道本線(琵琶湖線) 彦根駅から徒歩約15分。駅前大通りを真っ直ぐ西に向かい、護国神社にあたったら護国神社を囲むように回り込みいろは松の通りを通ってクランクを抜け内堀に突き当たったら左に折れれば正門の木橋がある。足が不自由な人には人力車がある。お城には登れずとも城下町が残っているのと、彦根城天守閣を見上げることの出来る箇所が何箇所かある。

 

※名神高速道路 彦根ICから車で約5分。

※北陸自動車道 米原ICから車で約20分。

※国道8号 :彦根市・外町交差点で306号と交差。

※国道306号 :彦根市・外町交差点が終点。

※国道307号 :彦根市・原町交差点が起点。

 

 

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