金城美幸さんのスピーチを転載します。松尾

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3.31土地の日連帯集会・デモに寄せて

                 金城美幸

 

ガザ緊急アクションなごやの金城美幸です。本日の集会・デモは、3月30日のパレスチナ人の「土地の日」に捧げます。「土地の日」とは、一般には、1976年3月30日、イスラエル北部でのパレスチナ人のゼネストが弾圧され、6人が殺された事件だと言われます。しかし、土地の日は、犠牲者の「追悼」のためだけでなく、ゼネストというパレスチナ人の主体的な「抵抗・闘争」を記憶する日でもあります。

 

 そもそもなぜ、イスラエルにパレスチナ人がいるのでしょうか?彼らは、1948年のイスラエル建国の時、追放を免れた、あるいは追放されたけれど逃げた先がイスラエル領になった人々です。彼らには、イスラエル国籍が与えられましたが、建国から20年間は軍政下に置かれ、実質占領下にありました。彼らの政治的な抵抗も禁止された軍政時代は、1966年終わりましたが、軍政後、彼らは土地を奪われ続けました。この状況のなか、パレスチナ人は村や町をまたいで防衛委員会を作り、抵抗を組織したのです。そして76年3月30日、パレスチナ人の3つの村でゼネストを起こしました。武器はありません。しかし、彼らのゼネストは暴力的に弾圧されたのでした。

 

 土地の日はなぜパレスチナ人にとって重要なのでしょう?それは、イスラエル国内のパレスチナ人は、イスラエル建国以降、敵国に残った裏切者として他地域のアラブ人から見なされてきました。彼らは軍政下にあり、それは西岸・ガザの占領を先取りしたものでしたが、そんな苦しみも知られず、孤立していました。その彼らが、ローカルな抵抗を組織化し、イスラエル領内で抵抗を行った事実は、その後のパレスチナ人のインティファーダなどの民衆蜂起にも大きく影響を与えました。

 

 この土地の日は、封鎖下のガザでの抵抗にも大きなインスピレーションを与えてきました。日本のマスコミは10.7以降、ガザを再発見しました。狂信的なイスラーム主義を掲げるハマースの巣食う土地として。しかし、そのガザが、17年間の封鎖による人道危機に陥っており、そのなかでパレスチナ人がいかに非暴力の抵抗を行ってきたか、全く報じていません。2018年3月30日の土地の日、封鎖下のガザの人々は非暴力で立ち上がり、封鎖フェンスを破って故郷に帰ろうと叫んで、「帰還の大行進 the great march of return」と呼ぶデモを行いました。ガザの人々が求めたのは、単なる封鎖の解除ではなく、追放された故郷への帰還という人権の回復でした。ガザ人口230万人の3分の2は、1948年に故郷を追放された難民とその子孫です。

 

 しかし、非武装でフェンスに向かい行進する帰還ためのデモ隊は、フェンスの外の狙撃手やドローンに銃撃され、死傷者が多数出ました。しかし、ガザの人々はこの帰還の行進を続けました。2018年3月30日から翌年12月まで、1年9か月間、デモを行いました。214人が亡くなり、3万5千人が負傷し、その多くは手足を撃ち抜かれ、手足切断になりました。しかし、この間、手足を失って人が松葉づえや車いすで、フェンスに行進を続けていました。

 

 

一体日本のマスメディアは、このようなパレスチナ人の犠牲を覚悟での非暴力の抵抗を、報じていたでしょうか?それを弾圧するイスラエルの非人道性を報じていたでしょうか?そして、私たち自身も、マスメディアが報じないことを良いことに、こうしたガザのパレスチナ人の苦しみを知らずにいたのではないでしょうか?封鎖下のガザからのパレスチナ人の声を私たちが受け止めてこなかった、それが10.7のハマースらによる武装攻撃によるフェンスの打ち破りにつながりました。

 

 この土地の日記念デモで、私たちは改めて土地を奪われてきたパレスチナ人の苦しみを知り、その帰還の権利を支えるため、声を挙げなければなりません。それは、パレスチナ人の苦しみを放置してきた私たちが、本当に人間としてパレスチナ人と繋がり直せるか、つまり、私たちが正義を重んじる人間としての存在に帰還できるかどうか、という問題です。パレスチナ人の帰還を求め、不正義のない世界に戻りましょう。私たちの手で世界を取り返しましょう。今日もよろしくお願いします。