関西蛍雪山岳会のページ -18ページ目
<< 前のページへ最新 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18

黒部別山大タテガビン沢右俣

黒部別山大タテガビン沢右俣

平成18113日~4

メンバー:(L)新谷、松村

記録:新谷

113日 晴

745黒部ダム発~825内蔵助谷出合~930大タテガビン沢出合~1310二俣~1410奥ノ二俣~1630ビバークサイト

始発のトロリーバスでダムに向かう。

思った通り、黒部別山に雪はなし。立山東面にも、申し訳程度に付いているだけ。

黒部川下流方面登山道の出口に下りた登山者は我々の他に3パーティ。内、登攀者パーティは1パーティ。いつも通り、大タテガビン南東壁の写真を撮って出発する。

 紅葉を期待していたが、さすがにもう終わりかけといった感じ。11月とは思えない暑さで、汗をかきながら大タテガビン沢に向かう。

 秋になっても、巨大なデブリが残る、大タテガビン沢出合で登攀準備をしていると、ダムであった登攀パーティが追いついてきた。

えっ、丸東じゃないの?もしかして、こんなマニアックなところでビンゴ?

、と一瞬ドキッとしたが、彼ら(内1人は彼女)は剣大滝見学に行くことが分かり、安心する。落石を落とさずに登ることが不可能な黒部別山東面で、2パーティ同時の登攀は厄介だ。

 女性の方は、最近中ノガビン沢登られ、僕が昔に書いた、京都府立大学山岳部HPの中ノガビン沢の記録も読んでいた。なんとこの女性は中ノガビン沢を登ったあと、二段岩峰経由の南尾根末端ルンゼを下降されており、僕が記録に書いたルートと同じである。当時は、こんな悪い下降路を使うのは、我々だけ(山岳部コーチの伊藤先生だけ?)と、思っていたのに、同じことをする人がいたので驚いた。

 大タテガビン沢は水が流れており、上部でも水が得られそうなので、水は持たずに行く。出合は滝になって黒部川に合流しているので、登山道の少し上からザイルを付けて登攀開始。出合の滝は左岸から巻くことにする。開始早々、落石を誘発させてしまい、下で休んでいる登山者に迷惑をかけてしまった。すみません。

 1P(新谷)-ブッシュ帯を直上~スラブを左へトラバース気味に登る。

 2P(松村)-スラブを左上。

 3P(新谷)-頭上の岩場を直上。

 4P(松村)-左にトラバース気味に下り、滝の落ち口に降りる。

 ここでザイルをしまい、巨岩がゴロゴロする沢を快適に登ってゆく。出合の滝以降は、水が枯れてしまっていることが、気にかかる。この先、水が無ければ敗退か?仕方ないので、岩のくぼみに溜まった水を汲む。見かけは比較的綺麗だが、腹壊さないかな?ここで、爺ヶ岳と鹿島槍ヶ岳を縦走中の、吉田・照代パーティとの無線交信を試みるが、不成立。以後、何度か無線交信を試みるが、一度も成立しなかった。無線機の不調か?

 途中のチョックストーンの滝は、松村さんに上からザイルを垂らしてもらって登る。その後は、容易な滝が続き、二俣に着いた。過去の記録を読むと、右俣の出合は滝になっているので、一度左俣に入ってからザイルをだしてトラバースし右俣に入る、となっている。しかし、我々は右俣出合のスラブ状の滝をノーザイルで直登し、右俣に入れてしまった。余りに簡単に右俣に入ってしまったので、枝沢に入ってしまったのかと不安になるが、どうやらあっているようだ。

 大タテガビン沢右俣上部を望む

↑大タテガビン沢右俣上部を望む


この後も、容易な滝をひたすら登っていく。奥ノ二俣にある、赤みがかった垂壁は左岸から巻くと、また20m程の垂壁が見えてくる。これが黒部の衆の“黒部別山”に書かれているマッチ箱だろうか?左岸にせよ右岸にせよ、高巻くとかなり大巻きになり、草付も悪そうなので、僕がトップになり空荷でFIXを試みる。登ってみると下で見ているより悪く、残置ハーケンは出だしの1本のみ。ノーピンで登るには、怖すぎるので、苦しい体勢でハーケンを打ち、ランニングを取りながら登る。登ることよりもハーケンを打つためにハンマーを振ることに疲れてしまった。ルートもⅤかⅣ級ぐらいはあったと思う。右腕パンパンになって何とか登り、ハーケン3本打ってビレーポイントを作成。松村さんにユマーリングで登ってもらったあと、荷揚げするが、最後のかぶったところでザックが引っかかりあがらない。仕方ないので、僕が懸垂下降(空中)し、空中で仮固定。ザックを押し上げながら、松村さんに上から引っ張ってもらい、何とかザックをあげることが出来た。あ~、疲れた。結局、このピッチが大タテガビン沢の核心部となった。

 核心の凹角

↑核心の垂壁


垂壁を抜けたあとは、スラブ帯となりビバークサイトを探しながら登ってゆく。しかし、基本的に延々スラブが続く地帯なので、横になれる平らなスペースはほとんど無い。結局、少し傾斜したスラブで妥協し、ビバークすることにする。

 水が残り少ないので、α米とお茶だけで夕食は終わり。夜中に水を飲むことは禁止。寝ている間にずり落ちそうなので、セルフビレイを取ったまま寝る。夜中に何度かズリ落ちそうになり、そのたびに体勢を整えた。安心して横になれないし、喉が渇くのでつらい夜だった。夜、ツェルト内側に結露してできた水滴を舐めて、少しでも喉の渇きを癒していた。

ビバークサイト

↑ビバークサイト


11月4日 晴

7:00出発~905南尾根P1P2間~1100南峰右ルンゼと合流~1130水場~1250南峰左ルンゼと合流~1320内蔵助谷~1410内蔵助谷出合~1515黒部ダム

朝起きると、足の半分はツェルトから飛び出し、空中に浮いていた。水を節約するために、お茶を一杯だけ飲み、行動食を少し食べて出発。ビバークサイトからスラブの傾斜が増すのでザイルを付けていく。

P(新谷)-直上した後バンドを左へ斜上~スラブを登りハーケンを2本打ってビレーポイントを作成。

P(松村)-頭上の壁を左へ回りこんでからスラブを登る。途中に残置ハーケン・ボルトあり。ブッシュでビレイ。

P(新谷)-草付のスラブを登る。ノーザイルでもいけたと思う。

 ここでザイルをしまい、休憩した。水は計量カップではかり、同じ量ずつ飲んだ。この先はバテバテになりながら傾斜の落ちたスラブを登り、南尾根に出た。途中で僕は、適当に登っていたせいで行き詰まり、松村さんにスリングを垂らしてもらって、ルートに戻った。カモシカが我々を警戒して見ていた。黒部別山に住むカモシカは、人間を見る機会は少ないのだろう。

 南尾根で少し休み、例によって軽量カップではかった水を飲んだ後、南峰右ルンゼの下降に取り掛かる。大タテガビン沢と反対側の樹林帯を歩いて少し下り、ブッシュ支点で懸垂下降50m×2で南峰右ルンゼに続くルンゼに降りる。ルンゼを少し下ったあと、残置ハーケン支点で50mの懸垂下降で、南峰右ルンゼ出合の滝を降りた。 南峰右ルンゼを下ると途中から待望の水が流れてきたので、がぶ飲みしマグヌードルを作って食べた。

 

↑南峰右ルンゼ下降の懸垂下降


 右ルンゼと左ルンゼの出合も傾斜の強い滝が連続していたので、ブッシュ支点の懸垂下降102020mの懸垂下降で下る。南峰左ルンゼと合流したあとは、滝も無くなり、ガレ場を下り内蔵助谷に着いた。内蔵助谷は飛び石伝いで簡単に渡渉し、登山道に合流することができた。

 最後、黒部ダムへの急登はやっぱりバテた。

 すこし、ハードだったけど、かなり充実して楽しい山行だった。

松村さん、ありがとうございました。


丸山東壁1ルンゼ(単独日帰り)

メンバー:新谷(単独)
2006年9月9日 晴れ 
7:50黒部ダム発~8:40内蔵ノ助谷出合~9:151ルンゼ取り付き~13:10稜線~15:00内蔵ノ助登山道~16:00内蔵ノ助谷出合~17:00黒部ダム
始発のトロリーでダムに向かう。ここに来ると、いつも大タテガビン南東壁の写真を撮ってしまう。黒部川は異様に水量が多く、水が濁っている。暑くて、汗だくになりながら1ルンゼを目指す。
丸山東壁は初めてだが、1ルンゼ取り付きは一発で分かった。顕著で迷う余地が無い。
出だしの滝は右岸から巻き、次の滝は直登。ガバガバで楽勝。
ここで右ルートと左ルートに分かれるが、右ルートは大洞窟下あたりが風化していてヤバそうなので、左ルートを選択した。
まずは、左側のスラブを登る。簡単なので、ザイルはいらない。次の滝は念のためFIX。空荷で登ってFIXし、懸垂下降。荷物を背負って登り返す。この滝を越えると広いテラスに出た。
さらに次の滝を左岸から巻き、ザイルを出してスラブをトラバースしてルンゼ本流に戻る。ランニングのハーケン3本とビレーポイントで1本打ち足す(全て回収)。登山体系に書かれているⅣ+のピッチはここで巻いてしまったのだと思う。
ここを過ぎると傾斜が無くなり、ブッシュがうるさくなってくる。ここから稜線までの藪こぎはキツかった。腕力に頼って無理矢理体を上げていく。ヘトヘトになって稜線に着いた。
少し休んで、主峰側に向かって10分ほど藪こぎし、スリングの巻かれた大木から内蔵ノ助平に向かって、ブッシュにつかまりながら草付を下降。途中の水場で喉を潤す。
内蔵ノ助平に着いてからも背丈以上の藪で視界を遮られ、内蔵ノ助谷を求めてさまよい歩く。内蔵ノ助谷に入り、数回渡渉をしながら沢を下って、ようやく登山道に合流した。内蔵ノ助平に着いてから、最短距離を取れればあと30分は早くなったと思う。渡渉なんて、本来はする必要ないと思う。
その後は、登山道をちんたら下ってダムに着いた。内蔵ノ助谷出合付近でサルを見かけた。
<< 前のページへ最新 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18