震災から4年経過した今月、震災以来行きたくてもテレビの映像などを見てどうしても行けなかったところに足を延ばしました。
ここから目的地までは言葉のみで失礼します。
まず、仙台駅で仙石線に乗り換えました。
仙石線は多賀城・塩釜・松島に行く時に乗った電車で、石巻行きもありました。
でも今は高城町止まりです。
塩釜・松島は日帰りでも十分楽しめるので、10回以上行っているのですが、その先の石巻までは1回だけです。その1回の出会いが忘れられない思い出になりました。
今は石巻に行くには小牛田から石巻線に乗るルートがあるのですが、今回はもう一ヶ所気になっていたところがあったので松島海岸駅から矢本駅まで代行バスに乗りました。
その途中に野蒜駅があります。
余景の松原の帰り道に駅構内にJAの直売所があったので、立ち寄ったことがあったのです。
テレビではすぐそばを流れる鳴瀬川・吉田川流域の被害が流され、野蒜駅の直売所の様子はどうなのか?気になっていました。
津波で甚大な被害にあったものの、今でも建物が残っていてJAがあったことが感慨無量だったのですが、橋を挟んだ反対側の光景を見るとそこに住んでいた人達ちはどうなってしまったのかを考えると喜ぶことは出来ませんでした。
途中何回も復旧工事中の仙石線を見ました。
以前のルートは海側を走っていましたが、本当に海のそばを走っていたので台風や地震で津波が発生した時に避難する場合どうするのか?疑問に思って話したことがあります。
その時は当然津波の被害に遭うなど思ってもいませんでした。
仙石線は今、一部が高架化されて以前の景観が一部見えなくなってしまいましたが、乗客の安全を考えると仕方がないですね。
震災の爪痕は少なくなっていましたが、あちこちで防災マップが作られていました。
通りの看板にも分かるように掲示されていました。
我が町にもぜひお願いしたいと思いました。
航空自衛隊松島基地が見えると矢本駅に到着しました。
お昼だったので駅の直売所で農家の方々の手作りのおにぎりを買って電車の中で食べましたよ~♪
本当においしかったので、帰りに買いたかったのですが、時間がなくて買えませんでした…。
矢本駅から再び仙石線に乗りました。
でも、車両が仙台―高城町で運行されている車両と違いました。
陸羽東線で使われているキハ110系です。
ここにも津波の影響は残っています。
石巻で下車して一番行きたかったハリストス教会に向かいました。
目的地は思い出のハリストス教会です。↓

今は修復・移築して案内板だけですが、以前ここに小さいけど優しくてとても暖かい教会がありました。
以前、仙石線の終点石巻の街を歩いてみたくてハリストス教会にお邪魔しました。
皆さんでお掃除している最中だったにも関わらず「折角遠くから来たんだから、中に入りなよ~♪」と声をかけていただいて、中まで案内していただいて教会ってこんなにいいところなんだと思って図々しくご厚意に甘えてしばらく時を過ごしました。
あの時の皆さんは今、どうされているのかと心の片隅に思いつつ、4年の歳月が過ぎてしまいました。
久しぶりに現地を訪れてやっと区切りがつけることが出来たような気がしました。
私の旅の思い出の中に今でも教会と皆さんの優しさと笑顔がはっきりと記憶されています。
また教会の公開が再開されたら訪問し、ありがとうを伝えたいです♪
今回は国連防災会議に関連したイベントを見学するため、石巻まで足を延ばしました。
仙石線全線と石巻線の終点女川駅までの運行再開と新しい仙石東北ラインが開通するそうなので、サンマで逆に元気をいただいた女川も訪れたいと思います。
今朝、霞ヶ関駅に大勢の報道陣が集まっていました。
あの事件から20年なのですね…。
職場は本当は溜池山王駅が近いのですが、長年使いなれている霞ヶ関駅を利用しています。
20年前は犯罪被害者支援に関わると思っていなかったのですが、今は被害に遭われた方々、後遺症に苦しんでいる方々、亡くなられた方々、そして犯罪被害者のために立ち上がったご家族の20年に手を合わせました。