一昨日の記事の自然に生きるさんのコメントにもありましたが発達障害があると、自分の感情にすらすぐには気づけないという事があるようです。今日はそんな特性について記事にしますね。

【定型における自覚できない自分】
こうした現象は、
定型発達者でもないことは無いかもしれません。
でも、それとはちょっと違うようにも感じます。

定型発達者の場合は、
思考において無意識領域の働きが、
結構、活発なように思います。
定型発達者の思考がオートマティックである事と、
無意識領域の働きは関係がありそうです。

定型の場合、自分の感情に気づかないというと、
どこか行動特性や長年の習慣的気質の中で、
わざと自分のある種の感情を押し込めて、
意識しないようにする
ようです。

例えば、近親者との関係が悪い場合に、
相手への憎しみをわざと押し込めて、
その関係を維持したりするような場合です。

カウンセリングは、こうした無意識に沈めた自分を、
自分で掘り起こし、自らの問題に気づくことも、
一つの問題解決法としているようです。

【それとは違う発達障害者の現象】
でも、発達障害の場合、それとは様相が違っていそうです。

時間差でやってくる自分の感情という場合もあります。

その場で自分の思いに気づけず、
でも、相手との会話に間をおきたくなくて、
または即座に判断できないことを悟られたくなくて、
とっさに、了解してしまったり、受諾したことが、
しばらくして、とっても嫌なことだったと
気づくようなことがあるようなのです。

こうした時間差での感情自覚のほかに、
認知の欠けとして、無自覚でいる場合もあるようです。

昨日の記事の自然に生きるさんのように、
挨拶が苦手な理由が、
挨拶をする意味が分からない
ということだったりします。
しかも、そのことにすら、
今になってやっと気づくと書いてらっしゃいます。

他の当事者さんで、
保育園時代に全く同級生となじめなかった方がいました。
この方は、今になって、
あの頃の私は、周囲の子達のことを、
 暴れる怪獣のようにしか思えず、
 自分と同じ仲間なのだという自覚を持てなかった

と語ってらっしゃいます。

こうした認識が当時ははっきりとはつかめず、
だから、周囲と同じようにするといっても、
自分がどう違っているのかも把握しきれず、
結局、同化できなかったというようなことが
起こってしまう
ようなのです。

でも、こうした本人の独特の認識は、
周囲にはまず分かろうはずもありません。
「なぜこの子は、挨拶ができないんだろう」
「なぜこの子は、仲間に入っていけないんだろう?」
と、親や先生方に不思議に思われるのには、
実はこんな原因が潜んでいたりするようなのです。

根っこに、人への共感性の乏しさがあるのかもしれませんね。
そして、周囲のことを、一風変わった認識でとらえてしまう。
そんな彼らですが、決して好んで
一人でいるわけではないというのも、
また、不思議なところです。

こうした特性を持っていても、
やはり集団から外れたいわけではなく、
また、仲間を求めてもいるのです。

ほんと不思議な感情かもしれませんが、
それもまた間違いの無いことだと、僕は思っています。

今日は、発達障害者の、自分でも把握しにくい自己の感情について記事にしてみました。