発達障害部門 第2位
知り合いの申ももこさんのブログに、彼女が自らの診断を受けてみようと言う気になった過程がUPされています。読ませていただいて感じるところの大変多い文章だったので、ご紹介させていただくと共に、当事者さんが障害を受容するときの気持ちについて、考えてみたいと思います。
【苦しみのふちから、浮上したきっかけは!?】
僕自身彼女のことは、かれこれ1年半くらいのお知り合いなのですが、
この方の前向きさと言うか、発達障害への肯定的な考え方に、
以前から、感心させられるものがありました。
現在、母子家庭で子育てをしながら、
通信教育の大学で学ぶ日々を送っておられ、
自らの人生を切り開いていかれている様子を感じます。
ただ、かつては苦しみのどん底で、
もがいてらっしゃった時期があったそうで、
どうすれば、そうした状態から、
このように前向きに生きていけるようになるのだろうと、
強い関心をもっていたのです。
そして、彼女のブログの最新記事から、その一端を感じたのです。
「私、自閉症です」 申ももこさんのブログへはこちらから
最初に結論を言ってしまうと、
それは、彼女が診断をもらう際に、周囲から与えられた、
肯定的な関わりと、自分を認められる体験だったのです。
彼女自身、学校、家庭などを通して、
「それではだめ」「もっと頑張りなさい」
と非難の目を向けられた時期が長かったそうです。
しかし、診断を受ける頃には、
むしろ、その頑張りを評価される環境におかれていたそうで、
そうした周囲のかかわりの中で診断を受けたことが、
今の彼女の前向きな生き方に
つながっているのではないかと、感じているのです。
【多くの当事者さんは、自分に否定的な環境の中で、診断を求めざるを得ない】
僕の知る多くの当事者さんは、
成人になってから、診断を受けられています。
仕事や友人・家庭がうまくいかない中で、
うつ病や睡眠障害、また他の精神疾患にまで至る中で、
診断を受けられた方が多いです。
つまり、「あなたはそんなではダメだ」
と理解してもらえない環境の中で、
そんな周囲の無理解を打開するために、
診断を受けられたケースが多いように感じます。
こうした環境での診断だと、診断後も、
家族や周囲が障害を認めてくれないケースもあるようです。
病院で診断を受けてすら、周囲は否定的な目をむけてくる環境。
「障害を逃げ場にするのではないか」という心配の目線。
親御さんの気持ちもわからないではないのですが、
そういう空気にさらされた当事者さんのつらさは、
大変なものがあるように感じます。
それに対して、ももこさんに向けられた肯定的な関わり。
そこには大きな差を感じます。
さて、ももこさんがどんな環境下で、
診断を受け、前向きなスタートを切られたのかを、
ブログの記事を追ってみますね。
【自らが受け入れられる環境を得たことで、診断を受けたいと思えたケース】
さて、申ももこさんの場合ですが、このブログの中で、こんなコメントがあります。
>自分が受け入れられていない状況、
>例えば、「いつまでそんな小さなことに、こだわっているの」
>「そんな考え方じゃダメ。もっと柔軟にならなくちゃ」
>「もっと頑張りなさい」と、今の自分が否定され、
>変わることを求められているような環境だったとしたら・・・。
>「あなたの性格は厄介だ」「どうにか変わってほしい。変わるべきだ」、
>周囲の人が私に対してこう思っているような環境だったとしたら・・・。
>きっと私は、診断を受けることはなかっただろうなと思います。
ももこさんのケースでは、
先にお子さんに、発達障害の診断が下っていました。
そのお子さんのために、市の支援を受ける中で、
親子教室のようなところに通われ、
子供のことを通じて、発達障害の勉強をするうちに、
自分にも当てはまるのではないかと思ってきたそうです。
そして、実際に病院に行く決意をされて、
診断へと至ったそうです。
お子さんが診断を受ける前は、ももこさんご自身も、
何かと周囲に彼女の特性を理解してもらえず、
苦しんでらっしゃったようです。
その頃、周囲から向けられていた視線が、上のコメントです。
自己を否定される苦しみを、
随分と、味わってらっしゃった様子が伝わってきます。
>こういった環境では、自閉症の診断は、
>罪が許されるための免罪符ではなく、
>「ほらやっぱり。どこか変わっていると思った」と、
>まるで罪の証拠のようになってしまうからです。
ここでももこさんは、「免罪符」という言葉を使ってらっしゃいますが、
要は、「出来ないことがあったのは、障害が原因で、
自らの努力不足ややる気のなさではなかった」
と思えることで、過去を清算したいとの願いであろうと、僕は感じます。
【頑張りを評価される中で、自ら変わりたいと診断を求めた・・・】
さて、子育てを通じて、
ももこさんが置かれる環境は変化して行ったそうです。
発達障害のお子さんを支えるという立場を通して、
周囲から、「お母さん、がんばっているね」「よくやっているよ」
「それでいよ」と肯定的な声掛けをもらう中で、
それまで失っていた自己肯定感を取り戻していかれたそうです。
>生まれて初めて、
>「間違うことも失敗することもあるけれど、こんな私でもいいんだ」
>と実感できるようになったことで、
>より自分を受け入れたいという欲求が生まれ、
>診断を求める気持ちが生まれたような気がします。
中でも、
「間違うことも失敗することもあるけれど、こんな私でもいいんだ」
という気持ちからは、自らの特性とその真相を知り、
障害であったとしても、それを受け止めて前向きに生きていこうと、
診断を受ける踏ん切りがついた様子が伝わってきます。
>「変わること」を求められている環境では
>、私は自閉症の診断はきっと受け入れられませんでした。
>でも、「あなたはそれでいいんだよ」と受け入れられている環境では、
>自ら診断を求めました。~(中略)~
>生活が荒れていた頃は、「そんなことじゃだめ」
>「もっと変わらなきゃだめ」と、よく言われました。
>でも、自分の努力だけで自分の内面を変えるには限界があります。
>環境が変われば自然に考え方や行動が変わってしまう、
>そんな環境の持つ力の大きさを改めて感じています。
確かに、こうした周囲の要求や叱責の狭間で、
人は、むしろ自らの殻に閉じこもり、
自分を非難から守るために、
むしろ防衛的な心理を働かせてしまうようです。
周囲の意図に反して、否定的な関わりを受けることの方が、
障害を「言い訳」にしてしまう心理を、
かえって作り出すようにも感じます。
カウンセリングの世界でも、人と言うのは、
まずその人自身が、受容され共感される中で、
その存在を大切なものとして受け止められることで、
自分自身の価値を感じ、また新たな自分の価値を
自ら見出していくのだそうです。
申ももこさんは、周囲から理解され、受容され、共感される中で、
自ら望んで診断を受け、自分のあり方をそのまま受け入れる中で、
自らの新しい価値観を手に入れられた様に感じます。
周囲から、変わることを直接的に求められない環境を得たことで、
彼女は結果として、変わっていったのだと思うのです。
当事者さんが診断を受ける時の環境も、
またとても大切なのでしょうね。
家族や職場・学校などで、
肯定的な環境を得ることが出来ない当事者さんも
あきらめる必要はないと感じます。
自助会などに、肯定的な環境を求めて、
自らが受け入れられることで、
肯定的に自分を見つめなおしていただきたいと思うのです。
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