発達障害の当事者さんの思いを詩で語っていただく、「kokoroの言葉」シリーズです。
【「kokoroの言葉」由来】
さて、今日は詩を紹介する前に「kokoroの言葉」の由来について、少しお話しさせていただきます。という文字を見ても、一瞬なんだかわからないですよね。
これが「こころの言葉」や「ココロの言葉」なら、一瞬で「心」だとわかります。
これも、脳の認知の特性なんでしょうね。「こころ」や「ココロ」の文字が、一瞬で「心」という概念とリンクする訳です。ところが、「kokoro」と書かれると、それは瞬時に「心」とはリンクしません。同じ「心」であるのに、とっさにそうな見えない訳です。
そして、定型発達が当事者さんと関わる時にも、
同じ事が起きているとぼくは感じるのです。
それはどちらも同じ「心」なのに、ほんの少し形が違っているのでしょう。そして、それぞれが「こころ」と「kokoro」であるが故に、互いにとって、一瞬「心」だとは感じることが出来ないのかもしれません。でも、本当は、人としての同じ「心」であることに、かわりが無いのですけどね。
この感覚のところで、当事者さんの「心」を象徴する単語として、
「kokoro」と表現してみたのです。
一瞬それが「心」だとは判らなくても、
やはりそれは「心」である事は間違いなく、
互いが、互いをもっと知れば、
やがては通い合う「心」に成れるのでは、との願いをこめています。
【今日の詩のご紹介】
さて、話が逸れましたが、今日の詩をご紹介します。
今日の詩は、30代女性の当事者さんで、夕星さんとおっしゃいます。
「Room/PDD-NOS」というブログを開いておられます。(http://pddnos613.blog103.fc2.com/ )
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「声」
吐き出す場所が
何処にもなくて
喉の奥に詰まったまま
何もかもぶちまけたい
叫びにも似たこの声で
何もかも晒け出したい
普通と違うこの心を
いっそ
吐き出して
吐き出して
吐き出して
存在が消えるほど
この世の果てまで
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さて、皆さんはこの詩に何をお感じになったでしょうか?
これは、夕星さんがまだ自分のつらさや気持ちを、
吐き出す場がなかった頃の思いを詩にしてくださったのだそうです。
今までの生きづらさや、理解の無さ、
また、自らの認知のゆがみに絶望した時に、
抱いた思いなのだそうです。
その頃、「とにかく聞いて欲しかった、
自分のつらい気持ちを吐き出したかった」
とコメントを寄せてくださいました。
夕星さんのブログを読ませていただくと、
今は自助会に通うようになり、
いろいろと吐き出す機会にも恵まれ、
次のステップに向かって歩んでおられる様子が伺えます。
しかし、当時にはこんなつらい思いを抱えてらっしゃったのですね。
実際、当事者さんは社会で孤立しがちです。
この夕星さんの思いに触れると、
当事者の方が自助会などに通って、
思いを共有できる人達と過ごす時間は大切なのだなぁと感じます。
僕も、自助会で、何人もの当事者さんが、
自分を取り戻していかれるのを見たものです。
人は、孤立したままで問題を解決するのは難しいようです。
困難さやつらさを抱えて生きていかざるを得ない当事者さんは、
仲間を見つけに自助会を探すことも、また大切なのだとつくづく感じます。
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