舅の面会に行くため、走らせていた車に義妹からの電話が掛かった

 

「お父さんの同室の人がコロナ陽性になったみたいで、お父さんも熱があるみたいやわ。

今日から面会禁止って病院から電話があって・・・」

 

最後の転院先の病院には、内科にて結核の薬を飲みながらリハビリをするということで、まず2階病室に入院した

 

舅は「あの病院は行きたくないな~」と言っていたけれど

結核菌が人に移さなくなっているところまで回復していても、薬は一生飲み続けるという患者を引き受けてくれる病院が他になかった

 

そして、その薬のせいで舅はよく下痢を起こした

 

しかし、何の前触れも説明もなく、舅はリハビリ重視の3階病棟へ移された

 

担当主治医も看護師も変わり、今後の治療方針などの説明もカンファレンスもないまま過ごしていた

 

私が悔やまれることの1つ

 

週6で、せっせと面会に行っていた義妹と姑

何ら病院側に説明を求めることもなく、洗濯物のやり取りだけの子供の使いであったこと

 

コロナ禍であっても主治医からの電話もなく、彼女達の受け身の姿勢は少しも変わらないまま

 

舅は、やはりコロナ陽性だった

 

高熱が続き話せない

酸素マスクが外せない

意識が朦朧としている

 

やっと主治医からの説明を聞きに来てほしいと電話があり、義妹と姑が行った

 

延命治療は望まないとの同意書を書いたとのこと

 

いよいよダメなのか

 

面会に行ける孫達が集まってきた

 

遠方者とは、テレビ電話で面会することもした

 

そんな中やっと、夫が病院に電話をし、主治医の話を聞きたいと申し出た

 

そばで見ていて、なぜ!なぜ!もっと早く、息子として病院に申し出ないのか

約10年間、母の介護で病院や施設に対応する私を見てきたはずの夫

 

「今!病院の話を聞かないと 後できっと後悔することになるよ!」

そう言う私に

 

「酷いことを言う人だ!」と顔をしかめた夫

 

やっと主治医 との面談が実現したのは、舅が亡くなる二日前のことだった

 

続きます